「寄席は玉手箱」
寄席が好きなんです。もちろん目当ての落語家が主任をつとめるときを狙って出かけていくわけですが、寄席っていうのは独演会とちがって、お目当てのまえに、芸を持ったひとがいっぱいでてきます。
開口一番の前座からはじまり、二つ目、途中に奇術がはさまったり、大神楽や切り絵なんかも楽しめるし、漫談、漫才やコントもあります。落語家もたくさんでてきて、かわるがわるにいろんな噺をやります。この寄席という場所の「ごった煮」なところがなんともいえず心地よいのです。
うっかり気を緩めていると、仲入りまえに神田伯山みたいな人気者が現れて、圧巻の講談がはじまったりする。かと思えば、いまでは珍しい幇間、俗にいう太鼓持ちが、料亭や茶屋でしかやらないような芸を見せてくれたりします。
とにかく寄席というところでは、玉手箱がひっくり返っています。
社中がひいて、いよいよお目当ての登場です。「たっぷり!」と声がかかっての一席がなんともいえません。
エースやクリーンナップだけが観たかったら、ホールなどでやる落語会がおすすめですが、寄席ならではの、全員野球の楽しさはなんとも味わい深いです。
ミュージシャンの街、古着の街、お祭りがある街など、いろいろな呼び方で高円寺は表されます。そのなかのひとつに「芸人の街」が昨今では流行りです。
「高円寺芸人」というくくりもあり、なかには全国的に知名度がある芸人さんもいらっしゃいます。
「高円寺人」でもいつか話をきいてみたいなと思っていたのですが、当代の「お笑い」や勢いのある芸人さんに、どこか二の足を踏んでいました。
そんなとき浅草東洋館「漫才大行進!」のラインナップに「高円寺K」という名前を見つけました。新人コンビということで楽しみにしていましたら、予想とはまったくちがった風貌と芸風に、かえって大いに興味を持ちました。
たずねてみたら、コンビ名の由来が結成場所の高円寺にあり、ふたりとも高円寺という街に深い縁がありました。
「お笑い芸人」ではなく、寄席という場所に軸足を置いた「漫才師」。その異色ともいえる新人漫才コンビ「高円寺K」の、これまでと、いまと、これからをうかがいました。
◎「高円寺K」登場!
―: 「高円寺K」は、2023年2月にデビューということでいいでしょうか。
カク:はい、やりはじめたのはそれくらいです。
―:というと、まだ1年と数ヶ月で、ほやほやの新人漫才師なんですね。
カトー:だてに歳をとっちゃった!(笑)
カク:これはふざけて話したほうがいいんですか?
―:いえいえ、ごく普通に。しゃべったことがそのまま文字になりますから。
カトー:えっ!(笑)
―:新人漫才コンビとして「高円寺K」の自己紹介をお願いします。
カク:「高円寺K」のカクです。「高円寺K」はツッコミとかボケとかあまりなくて、本気のボケと普通のボケみたいな漫才をやっています。ぼくはその普通ボケのほうを担当しています。
カトー:「高円寺K」のカトーです。歳は、ま、いいか。公称74歳です。
カク:え、公称って、ほんとはちがうんですか(笑)。サバ読んだり、この期に及んでまさかちがうとかってだめですよ。
カトー:ちがわないです。もうすぐ75になります。高円寺には住んでないんですけど、亀有の駅のすぐそばに住んでいます。
カク:あれ?こういう普通のことを言えばいいですか?
―:というか「高円寺K」とはこんな感じの漫才コンビだという自己紹介があればと思ったのですが‥。
カク:「高円寺K」の自己紹介、うーん、そういうのは、ないですね(笑)。カトーさん、ありますか?
カトー:うーーん。
カク:カトーさんが人一倍歳をくった新人ということくらいでしょうか。あ、でもぼく自身もそこそこ歳をくっていますので、歳をとった新人ということですね。
―:そこが「高円寺K」の一番のポイントでしょうか。
カトー:そうなんですけど、これがいつまで続くかというか、「歳とった新人」ネタもだんだん浸透してきたら飽きられるんじゃないかなと心配しています。
カク:それより、カトーさんの命がどこまで続くかですけどね(笑)。
◎「高円寺K」結成のいきさつ
―:この異色ともいえるコンビ結成のいきさつをうかがいたいのですが。
カク:ぼくがもともと「サンエイチ」というトリオ漫才で漫才協会にはいっていました。それもさほど前のことではないのですが、3人でやるっていうのが、いろいろとたいへんで、ぼくは抜けたんです。
ひとりになってしまうと、新人はステージにあがれないんですね。もしでたかったら相方を見つけてくださいと漫才協会からいわれまして、だれかいないかと探していたんです。
そのころ、ここ「高円寺ALONE」でソロライブをやっていて、もともと別のかたを誘おうと思っていたんです。
あるときライブの打ち上げで、そのかたに漫才やりませんかと声をかけたんですが、「興味はあるんだけど、踏み出せないなあ」なんて話をしていたんです。
そしたらたまたまその日お客さんで来て、打ち上げに参加していたカトーさんが、やおら「わたし、わたしは、漫才やってみたかったんだ!」と言い出しまして、「ええ、ほんとですか?」と。そしたら「ほんとにやりたいんだ!」っていうから、「漫才といっても、ほかにお手伝いの仕事とかあるんで、けっこうたいへんですよ。」って説明しても、「うん、だいじょうぶ。やる、やりたい!」なんですよ。じゃあ、やってみますかというのが「高円寺K」のスタートです。
―:カクさんは「高円寺ALONE」というライブスペースで、朗読ライブをやっていて、ちょうど相方として頼みたかったひとを打ち上げの席で誘ったんですね。そしたらたまたま前に座っていたカトーさんが手をあげたということですか。カトーさんはそのときどうして「高円寺ALONE」にいたんですか?
カトー:知り合いがたまたまライブをやるっていうので、来てました。
カク:ぼくの朗読ライブ目当てではなくて、別の出演者のお客さんだったんです。
カトー:それで打ち上げに参加していたら、すぐ近くで漫才をやっているなんて話をするもんだから、へえって聞いていたんです。そしたらいまひとりになっちゃって舞台にあがれないというもんだから、それならと立候補したんです。
◎ 憧れの漫才師へ
―:それ以前からカトーさんは漫才に興味があったということですか?
カトー:お笑いが大好きなんですよ。
―:漫才をやってみたいと思っていたと。
カトー:そうですね。やれるもんならと思っていました。けど、年齢が年齢ですし、どうしたらやれるのかもわからなかったから、たぶん無理だろうと思っていたんです。もしやるんなら吉本の学校とかにはいらなきゃいけないんだろうなとか、だれか有名なひとに付き人でついたりしないといけないと思っていました。
―:でも下積みしているあいだにたいへんな歳になっちゃいますね。
カトー:そう!
カク:あの世ですね、下積みのままで。
カトー:失礼だな、きみは!(笑)
◎「高円寺K」への道
―:「高円寺K」結成以前の来歴をうかがってもいいでしょうか。
カク:ぼくはもともと役者をやってきたんですけど、役者としてはあまりお呼びがかからずで、声のほうの仕事、テレビやラジオのCMナレーションの仕事をメインにするようになりました。ナレーターとしては20年くらいやっています。
それと並行して、朗読ライブや即興芝居をやったりしていました。「高円寺ALONE」には10年くらいまえから出させてもらっています。
カトー:わたしも一応、役者をやってたんですけど。
カク:カトーさんは、いまでも役者なんですよね?
カトー:呼ばれればやるんですけど、ちっとも呼ばれない。
―:何歳くらいから役者を?
カトー:30ちょいまえくらいから本格的にはじめました。ちょっと遅いんですよ。で、はいった劇団「黙示体」は、一年もしないうちに解散になってしまって、路頭に迷いました。
そのころ先輩からヒマしてるならと紹介されたのが、着ぐるみのなかにはいる仕事でした。それをしばらくやって、また路頭に迷っているときに、解散した「黙示体」の演出家のひとに頼んでもう一度、劇団を旗揚げしたんです。花輪あやさんといって、ものすごくおもしろいホンを書くひとなんです。
―:新しく旗揚げした劇団はなんといいますか?
カトー:劇団「花輪ジム」といいました。けっこうおもしろかったんですよ。そこに7年ほど在籍していました。そのときに高円寺というお寺の近くの「明石スタジオ」で劇団の公演をやっていました。女優の明石澄子さんが作った芝居小屋で、いまはもうなくて、マンションになってしまいましたが。
―:カクさんは「高円寺ALONE」、カトーさんは「明石スタジオ」と、それぞれに高円寺とのつながりを持っていたんですね。
カトー:そのとき、ぼくたちは知り合いでなかったんですけど、先輩の女優さんが「高円寺ALONE」でライブやるのを観にきたりとか、どこか高円寺の地下水脈でつながっていたのかもしれませんね。
―:「花輪ジム」のあとはどうしていましたか?
カトー:テレビや映画に呼ばれて、ぽっつりぽっつりと出ていました。
―:北野武監督の映画にも出演していらっしゃいますね。
カトー:はい。キャスティングのひとに知り合いがいて、そのひとが声をかけてくれました。
カク:高円寺ということでいいますと、ぼくの本籍は高円寺南なんですよ。両親が世帯を持ってここからスタートしているんです。その後、実家は中野の野方になるんですけど、高円寺は小さいころからの遊び場でした。
◎ いざ浅草の大舞台へ!
―:ナレーター、役者からどういう経緯で漫才につながるのでしょうか。
カク:さきほどいった「サンエイチ」は20代のころの演劇学校からの仲間で、ときどき集まっては即興劇やトークライブをしていました。そのうちのひとりが以前から漫才協会の漫才師として活躍していて、それを見て、ああすごいな、こういう世界でやれるんだ、漫才すごいなと思っていました。
ある日「サンエイチ」で呑んでいたときに、トリオで漫才やれないかなとぼくが言い出して、その彼を経由して漫才協会にはいれたんです。それが2年くらいまえです。
―:その後「サンエイチ」を脱退して、カトーさんとひょんなことで出会い、コンビ結成となるのですね。「高円寺K」として漫才をはじめて、この1年間はどうでしたか?
カトー:えっ、もうそんなに経っちゃったのって感じです。
カク:しっかり漫才コンビとしてやれるようになったのは、東洋館の舞台なので、キャリアとしてはまだ半年ですね。それ以前は「高円寺ALONE」で、ちょこちょこと余興のようにやらせてもらうくらいだったので。
―:漫才協会に所属しているからといって、すぐには東洋館の舞台にはあがれないんですね。
カク:そうです。新人ですから一定期間をお手伝いとして働かないといけません。
―:舞台にあがれるようになっていかがですか?
カトー:お客さんが見えるのが、ドキドキしますね。いい意味でドキドキします。小劇場のころの芝居を思い出します。
カク:この一年はけっこうたいへんでした。舞台にあがったら震えるくらいの真剣勝負ですし、舞台裏のお手伝いはお手伝いでいろいろありますから。
◎ 幕内弁当になりたい
―:「高円寺K」が目指している「笑い」ってどんなものでしょうか。
カク:東洋館に来ていただいたお客さんがすごく楽しい時間を過ごして、楽しかったと言ってもらえるようになりたいですね。お昼から夕方まで時間が、どこか幕の内弁当みたいであってほしいなと思っているんです。
幕内弁当っていろんなおかずがはいっていて、メインのおかずがあったり、そのしたに味のついていないパスタがあったり、しなびたレタスのような葉っぱがあったり。でもそういうのって食べてみたら意外と美味しかったりしますよね。そういう葉っぱの端っこでもいいんですけど、幕内弁当のひとつでありたいなと思っています。楽しめる時間帯の一部、味の一部になれたらと思います。
4時間半と、ちょっと長いんですけど、寄席での時間を楽しんでもらえるような、そういう笑いとか時間を提供できるようになるのが目標です。
カトー:なんかいいこというね。こんな真面目な話のあとになんですが、わたしは林家三平さんとか、ケーシー高峰さんとかが大好きなんです。ああいう、もう出てくるだけでおもしろいっていうのを目指しています。でもお客さんを笑わせるって、すごくたいへんですね。
―:寄席という特殊な時間と舞台にもまれているわけですが、どんな感じなのでしょうか。
カトー:初舞台はほんとに無我夢中でわからなかったですね。あれ、もう終わったのって。それから、だんだんとお客さんの顔が見られるようになって、ドキドキするやら、うれしいやらで。それでもやっぱり、生っていいですね。
―:寄席にしっかりと軸足を置くのか、それとも寄席を飛び出したいのかときかれたらどちらでしょうか。
カク:さきほどもいいましたけれど、ぼくは東洋館のあの時間に出られることがすごく好きなので、寄席を大切にしたいです。
カトー:わたしも寄席に軸足を置くことがいいと思っています。
◎ 出発と再出発の街
―:浅草の街についておきかせください。
カトー:浅草、いいですよね、あの雑然としたところが好きです。東日暮里で育ったので近かったんです。子どもの頃はよく来ていました。実は叔母にあたるひとが、ロック座でアルバイトしていたんですよ。そこに弁当を届けにいったりしてました。
カク:ぼくはもともと中野、高円寺だったので、あまり浅草に行く機会はなかったんですけど、友人が寄席にでているときに観にいったりしていました。
浅草は観光地の印象ですが、演芸の場所がしっかり残っていて、昔ながらの聖地みたいなところもあります。いまこうして通えるようになって、すごく幸せです。
―:浅草のにぎわい、伝統、そしてお祭り。ひとが生き生きとしている街だと思います。それはどこか高円寺にも共通するところがあるかもしれません。高円寺という街についておきかせください。
カトー:ミュージシャンの街っていう印象がありますね。ちょっとハイソな下町って感じです。
かつて「明石スタジオ」で芝居やってきたときの自分と、いまこうして高円寺にいる自分っていうのが、実はつながっていたというか、もどってきたという感覚があります。
カク:高円寺は、出発と再出発の街っていう感じです。というのは、ここは両親が結婚して出発した街でもあり、ちいさいころから遊びにきていた馴染みの街です。そしてしばらく離れていたんですけど、10年くらい前から、高円寺に来て、「ALONE」でライブをはじめるんですね。それはぼくのなかでは再出発でもあったんです。そしてカトーさんと高円寺で知り合って「高円寺K」を出発させた街でもある。
もっというと、高円寺には古着屋さんがいっぱいありますが、洋服も再出発できる街なんですね。なんかそういうイメージ。出発と再出発ができる街なんだと思います。
―:コンビ名に「高円寺」という言葉をいれると最初から決めていたのですか?
カク:「高円寺ALONE」で再出発して、カトーさんともここで知り合ったし、馴染みの街でもあったので、「高円寺」のネーミングはごく自然にでてきましたね。
◎「高円寺K」のこれから
―:「高円寺K」の今後の野望をうかがいたいのですが。
カトー:うーん、野望ですか‥、無謀だったりして。
カク:絶望に変わるようなこと言わないでくださいよ(笑)。
カトー:わたしは、「笑点」のゲストに呼ばれたい!それを花道にあっちに逝く。
カク:それいいですね。さきにあっち逝っちゃうかもですが。
カトー:バカやろ!(笑)
カク:正直なところ、実際問題として賞味期限があると思うんです。若くはないし。なのでそのあいだになるべくたくさんできることをやって、少しでもお客さんに笑っていただきたいです。
のんびりとはできないんですが、がんばりすぎてもお互いにたいへんなので、なるべく無理のない範囲で、できることをやっていきたいです。
―:これからの予定などがありましたら教えてください。
カク:やはり東洋館での舞台がメインになります。月曜日が多いのですが、ほぼ毎週出演していますので、ぜひお運びください。あと8月22日から25日までの4日間「高円寺ALONE夏祭りライブ」があって、そこのどこかで「高円寺K」も出させてもらいます。
◎ 愛のある漫才コンビとして
―:最後にお願いなのですが、おふたりにとっての「愛」を即興漫才にしていただけないでしょうか。
カク:いまですか?「愛」をお題に?
―:はい。
カク:わかりました。ではいきますよ。
カトー:おう。
カク:カクです。
カトー:カトーです。
ふたり:高円寺Kでーす!
カク:ところでカトーさん、愛っていったいなんですか?カトーさんくらいの歳になったらもう愛のひとつやふたつわかるでしょ、その意味が。
カトー:うん?う〜ん、え〜と。
カク:わからないんですか?知らずに、えっ、愛のひとつも知らずにあの世にいくつもりですか、カトーさん。
カトー:そうかもしんない!
カク:えっ?そうなんですか。いままで愛を感じたことないんですか?
カトー:あはん。それはね、若い頃にはね。
カク:じゃ教えてください。愛ってなんですか?
カトー:えーとね、なんかドキドキする心?動悸がして、めまいや吐き気が‥。
カク:それいまのカトーさんの心臓の話じゃないですか。だいじょうぶですか?病気とか。
カトー:それかもしんない。
カク:カトーさん、わかりました。そんなカトーさんをぼくはちゃんと見送りますよ。あれ?これがひょっとして愛ってことですか?
(拍手)
お仲入り〜!
2024.05.26 SUN
「高円寺ALONE」にて
取材:北原慶昭 木澤聡
写真:小野千明
Leave a Reply