第二回 :木下卓也さん【一徳  マスター】

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高円寺あづま通り入口あたりにある呑み屋「一徳」。

カウンターに串焼きの焼き台に、まったくエアコンが効かない店内。

語り合いながら呑む客。独りしんみりと呑む客。知り合いに挨拶を欠かさない客。

テレビから流れる今日も負けている阪神の野球中継と、それを観て呻くお客。

「はぁ~い」と、店内中に響くように奥の厨房にオーダーを通したり、店の向かいのアネックス(はなれ)にいる店員を呼びつけるマスターのだみ声。

そう、それがいつもの「一徳」での光景。

みんな思い思いに酒が呑めて、豊富なメニューから好きなものを選んでつまめる。

そんな店なのだから、もうじき17年経っても変わりのない風情で落ち着く。

そう、ここほど居心地のいい店は、なかなか無いのだ。

お世辞にもキレイだとは言えませんがね。(笑)

 

<一徳の卓さんとは同じ歳なんです>

 

そうなんです。

高円寺人 第二回で紹介する木下卓也さん(卓さん)は、オレと同世代、同じ歳です(今年58歳)。

だからなんだってことですが、どこか昔から親しみを感じていたのはオレだけなのでしょうかね。

元々は関西人の卓さんですが、これほど高円寺および中央線沿線が似合う人はいない気がする。

とは言っても、バリバリの関西弁オヤジではありますが。

どこか得体が知れなくて、なにがホントで、なにがまやかしなのか、まったく掴みどころがない、謎の店主。それが卓さん。

 

<クズどもの天国さ>

 

やぶれかぶれで生きているゼ

この国はハンパもんを切り捨てるゼ

オレたちはやっぱホームレス

経済的精神的難民だろうよ

あの娘と二人 仲良く暮らしたいだけ

まったく世知辛くなっちまったもんだ

クズどもの天国さ ここは高円寺

クズどもの天国さ ここは高円寺

本日の〆はみそラーメン

タバコの煙の中でどれだけ

名作が生まれたか アンタ知ってるかい

あの紫煙の向こうに光をみた

毎日サプリを体にブチ込み

ストレス社会に身を投げる

このままこの海で溺れちまうのか?

クズどもの天国さ ここは高円寺

クズどもの天国さ ここは高円寺

本日の〆は他人丼

クズどもの天国さ ここは高円寺

クズどもの天国さ ここは高円寺

本日の〆はきつねうどん

 

<「一徳バンド」を率いる、伝説のブルースシンガー>

 

「一徳」で毎日だみ声を張り上げて店を切り盛りしているしている卓さんは、「一徳バンド」を率いる伝説のブルースシンガーでもある。

やや強面で、渋さと年輪を感じさせる表情で歌われる卓さんの歌は、無常観が漂いながらも、どこかで寂しい思いをしている人たちを励ましてもくれる。

なぜ、歌を?なぜ、呑み屋の店主なの?

そんなことは、どうでもいい。

そして、そんなことなんか気にしちゃいない常連客が今日もやってきて、いつもと同じように呑んで、各自で自分を癒して、帰っていく。

あんたはそこにいて、いつものようにだみ声で注文を通してくれればいいんだよ、卓さん。

そしてやっぱり、卓さんは高円寺が似合う男だよ。

 

<どうして「一徳」?>

 

ああ~、作家で船戸与一さんっているだろ?
あの人がよく来てくれてて、船戸さんの小説「山猫の夏」に出てくる主人公「弓削一徳」の名前から命名してくれたんだよ。

店をオープンさせたのは2002年5月31日。
おふくろの命日が5月30日なんだよ。その次の日にしたのよ。おふくろはオレが高校生のときに亡くなってるんだけどね。意識したわけじゃないけど、偶然ね、重なったんだよ。

オープンさせたときは40歳ぐらいだったかな(実際には41歳?)。サッカーの日韓ワールドカップ開催の年だよ。で、今年で17年目になるわけだよ。

 

<「一徳」をやる前>

 

もともと、西荻窪の某有名店で修行したんだけど、社長が嫌いで辞めたんだよ。(笑)
相変わらずあの店も景気いいらしいけど、その辺があまり気に入らないって言うか、やり方がちょっと、な。

西荻南口の「柳小路」も、昔に比べるとずいぶん変わっちゃってね~。昔からの店もまだあるんだろうけど、店にも来てくれる人がやっているお店なんかもまだ行けてないからなぁ。っていうか、あんまり西荻は行きたくないからね。

 

<卓さん節、炸裂!>

 

(写真を撮っていた女性カメラマンに向かって、突然)「彼女、名前は?フンフン、○○ちゃん、キレイだねぇ。で、いくつ?一番ええときやないのぉ~。彼氏は?いないの!?メッチャ寂しいやぁ~ん。」

(女性カメラマン)「ハハハハ、わたしのことはいいですから~。」

 

<店をオープンするきっかけ>

 

高円寺に店を出すきっかけ?
そりゃあ、偶然よ。オレ「あずま通り」(「一徳」のある商店街)にしょっちゅう呑みに来てたんだけど、角のこの物件がいつまで経っても閉まっているから、競輪で儲けた金が無くなるから何か形にしようかなぁと思ってね。

ここは、元々じいさんとばあさんがやっていた定食屋だったんだよ。たまに来てたんだよ、それは知ってたんだ。もう、ずいぶん前の話だよ。
そして、じいさんとばあさんがその定食屋を辞めたのよ。閉まってから長いことずぅ~とそのまんまだったのよ。もう誰も借りないからいいや、しょうがないから頭金が消えないうちにやっちまおうと思って。

角地で場所は悪くないんだけど、当時(2002年)バブル崩壊して、けっこうあっちこっちシャッターが閉まっていたんだよ。そうそう、今とはぜんぜん時代が違ったんだよ。家賃も安かったし。

そんな厳しい時期だったんだけど、とりあえず日銭が1万円入ってくれば御の字かな~って思ってやってみたら、そしたら予想以上に客が入って参っちゃったんだよ。

最初はひとりでやろうと思ったたんだよ。そしたらさ、そうはいかなくなっちゃった。(笑)

 

<高円寺のお客さん事情>

 

高円寺は酒呑みが多かった。高円寺にはひでぇ酔っ払いがいっぱいいたよ。そうなんだけど、でもずいぶん死んだよ。いや、ホントに。

オレが店オープンさせたころは、ものすごい酷い酔っ払いがいっぱいいたよ。アル中だかなんだか判らないやつ、たくさんいたよ。

ヤーさんもオープン当時はたくさん来たよ。それを断るのが大変だったんだよ。最初はそれで苦労したんだよ、嫌がらせも多かったなぁ~。

 

<飲食業以前の卓さん>

 

西荻の店で働く前はプー太郎!
博打ばっかりやってたよ。ミュージシャン崩れのね。(笑)
役者?ああ、Vシネマ何本か出たかな。

いろいろやってたよ~。
「白夜書房」からも仕事もらってたからね~。日本一のエロ本屋さん。

大阪から19か20歳のころに出てきて、「白夜書房」にオレの3つぐらい先輩で作家になった永沢光雄って人が、当時「写真時代」って雑誌の副編集長をやっていて、その雑誌の名物編集長の末井昭さんのあとを継いで編集長になって、それでちょこちょこ仕事を貰うようになってオレ、喰い繋いでいたよ。

永沢さんと出会ったのも偶然だったんだけどね、「AV女優」とか「風俗の人たち」とか、なかなか面白い本出してるよ。

 

<「一徳」は16年変わらずやってます>

 

店は開店当初からほとんど変わってないんだけど、2年ぐらい経ってから店の向かいに「はなれ」ができたからね。
元々は古着屋だったんだよ。古着屋によぉ~「もう、そんなの辞めたらいいだろう」って言ってたら本当に辞めやがって、そしたらその物件のオーナーが来て「借りてくれませんか?」って、追い出しちまったようなもんだよな~。ラッキーだよ。(笑)

 

<命名者 船戸与一さん>

 

今日はね、船戸与一さんの命日でさ、船戸さんの仲間たちがみんな荻窪から来るんだよ、予約が入ってるんだよ。みんな世話になった人たちばかりだよ。

「一徳」の店名は船戸さんからもらっているから。生きていれば75歳だよ。

ここにもよく来てくれてたんだけど歯がダメでさ、歯が全部歯周病でポロッと落ちているんだよ。そうなってからは、あまり来なくなった。入れ歯もしてたけど、慣れなかったし味気ないんだってさ。

 

<中央線沿線愛>

 

もう、中央線沿線以外は考えられないよ。

オレは高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪あたり、そこら辺を行ったり来たりだったのよ、ずっとね。庭だからな。いまさら、他に行けって言われても、それはないな。

 

<店をやってての紆余曲折>

 

店をやってて失敗したなぁ~と思ったことは、数えればキリがないんだよ。
例えば冷蔵庫の位置とか、細かい厨房設備の配置とか、効率いいように自分でデザインしたんだけど、みんなもちゃんと機能的に納まっているねぇと言ってくれるんだけど、オレはいまだに不満なんだよ。使ってるオレが一番判るわけよ。

オープン当初は製氷機も無くて、そんな客来るわけねぇって思ってたから、氷屋に氷持ってきてもらってカチ割りでまかなってたんだよ。そしたらとてもじゃないけど追いつかなくなっちゃったのよ。
だって、朝の4時にまだ皿洗っているときがあって、当時荻窪に住んでいたから帰るの面倒臭くなるから、それで寝袋持ってきてここで寝て、裏にコインシャワーってのがあったからそこで風呂に入って。睡眠時間2~3時間っていうのがずっと続いてたら、オープンして3ヶ月ぐらいで倒れた。(笑)
もう持たないと。

そうしたら、今下北沢で「SOSANJI」ってバーをやっている平田たつろうってやつが弟子入りしてくれたわけよ。そいつがオレの一番弟子なんだけど。

そいつとにかく、ゴキブリと血がダメで、喰いもの扱う店はダメ。酒だけ売ってるよ。こんなちっちゃいゴキブリでもギャーギャー言うから。オレらの商売はゴキブリとかでギャーギャー言ってたらできない。

 

<卓さんの見る高円寺情景>

 

高円寺は音楽をやっているやつが多くて、長い間高円寺情景を見てきているけどさ、演劇やってるやつ、音楽やってるやつで上手いこといったカップルってあんま無いね。(笑)

みんなどっちかっていうと、悲惨になっている方が多いぞ。
要するにね、夢追い人同士とくっついたりするとダメだね。経済的に逼迫するじゃん。すると精神的にも逼迫してくるんだよ。これは悲しいけど現実!

まあ、ビッグになったやつもいるだろう。でも、高円寺でビッグになったやつは高円寺を出て行くからねぇ。金持ってるやつはいいよね~みんな。
貧乏なやつらはいるけどね。

でも、死んで金持っていけるわけじゃないんだからよぅ。金は上手いこと使えばいいんだよ。死ぬときにはプラマイはゼロだよ。

 

<実は音楽がきっかけで東京に出てきた>

 

音楽はずっとやってたんだよ、大阪にいたころからも。

10代のときライブをやっていたときに、「東京に出てこないか?」みたいな話があったんだよ。
言ってくれたのはフリーライターの人で、最初に東京に出てきたときはその人に家に居候してたんだよ。

そこが西武池袋線で、向かいが筑紫哲也の家だったんだよ。筑紫さんいい人だったよ~。すごいいい人だった。オレにいつも挨拶してくれるんだよ、夜遅くまで電気点いててね。

 

<「一徳」の豪華お客さん陣>

 

映画関係者が客で多いのは、映画監督の若松孝二さんがよく来てくれてたからだよ。
元々は、船戸さんが若松さんを連れてきて、それで若松さんが映画関係者や篠原勝之さん(クマさん)や四谷シモンさんたちを連れてくるようになったんだよ。

船戸さんと若松さんは仲が良かったから。よく若松さんが映画の件で船戸さんに相談するとき、ここでやってたから。
みんな金が無いんだけど、映画は金が勝負、金が無いとできないからね。いい映画がヒットするとも限らないし、まあ博打みたいなもんだよ。

若松さんのすごいところは、映画監督でもあるし実業家、プロデューサーでもあるからね。
「愛のコリーダ」は若松さんがプロデューサーで大島渚さんが監督だったんだから。で、藤竜也が主演でしょ、藤原竜也じゃなくって。(笑)

 

<出禁な客への対策>

 

この店で出禁になった客がいるかって?
いっぱいいるよ、何百人といるよ。酔っ払いだからってことよりも、傲慢なやつだったからってのが多いよな。「何様~」みたいな。

店で暴れるやつもいるよ、即出入禁止よ。チョットチョットって手招きして、裏でボコボコにしたやつもいるよ。二度と来ない。

開店当初のころは、特にそういうのの対応が大変よ。ヤーさんとかの排除とかも。嫌がらせも多かったし、なかなか大変だったけど、オレはきっちりやったよ。来ないでくれって言うわけよ、ときには身体を張ってね。

まあ、高円寺は本場だけど、お偉いさんの指示がしっかりしているから滅多なことは無いよ。みんな呑む店も決まってるしね。
一部の言うことを聞かないやつもいるけど、上の人にちゃんと礼儀を通しておけば問題無くなるんだよ。金なんか出すわけじゃないよ、そんなこと高円寺でも他でも無いし。まあ、いろいろあるんだよ。

 

<卓さんの仕事に対する姿勢>

 

仕事はね、仕事ができるやつならキチンと教えてやればできる。普通に考えたら判ることなんだから。
誤魔化してズルするやつがいる、こいつがダメなんだ。ズルするやつは出世しないな。

 

<卓さんの商売哲学>

 

店を増やそうなんてことは思ったこと無いね。
ただ、銀行が「金貸しますから、どうですか?」って散々来たよ。いくらでも融資しますよって。まあ、うちが悪くないってこと判ってて来るんじゃないの。

今になってもオレ、やんなくて良かったなって思ってるよ、大変だもん。

店を増やしたり拡張したところは大変だよ。まず人がいないからね。それにヒマだよ、毎日のように呑みに来てたやつも、まったくいなくなっちゃったもん。

チェーン店なんかも人がしょっちゅう変わっちゃうし、客も定着しないもんだから地域に馴染まないからね。

ヤバイなって思う店は、まず仕入れ業者やリース屋から良からぬ噂が入ってくるよ。売り掛け商売はやめておいた方がいいね。

店も入れ替わりが激しいから、高円寺で10年以上やっている店は6%だってよ。うち、6%の中に入ってるんだよ。(笑)
すごいね。

 

<これからの「一徳」>


これから?この先の展望なんてなんにも無いよ。これ以上忙しくなっても身体がもう無いんだから。

もうオレは「一徳バンド」しかやんないから。(笑)
「一徳バンド」は、またライブやろうとかレコーディングもやろうとかって話もあるし、オレそっちの方が興味のあるんだよ。

「一徳バンド」はね、あれ可能性高いよ。つわもの揃いだし、真面目にやればイケると思うね。

半ば強制的に国(ベトナム)に帰らなくちゃいけなくて、今まだ戻って来れてないんだけど、就労ビザが下りて長期滞在が可能になれば店を任せちゃってもいいと思っているやつもいるからね、本人もメチャその気だから。
向こうで「一徳」って店オープンして潰れたもん。(笑)
そりゃ向こうで同じ商売したって無理に決まってるよ。

まあ、来たら彼にも任せられるけど、元気なうちは店は続けるよ。

 

<店をやるってのは>

 

店をやるときに大事なことっていうのは、なんとなく発進しない方がいいね。

ある程度基本的なことだけはバシッと決めておけば、あとはやれるよね。

そのあとは普通に、だよ。あんまり偉そうなことは言えないけどね。(笑)

気持ちが無けりゃできない?
そりゃそうだよ、嫌いじゃできない。あと、人間が好きじゃないとできない、人嫌いじゃ無理だよ。

でもな、流石に17年もやっているとな、店が終わったあと独りで酒呑んで無言になっている。店やっている間、馬鹿話ばっかりしていると、酒呑みながら無言でいたいときがある。
そんなときは「酒が旨いなぁ~」って思うよ。年取ったな、無口になって呑む酒が旨い!

人と話しするのも、そりゃそれで疲れるのよ。みんな戯言だよ、この世の中に大切なことなんてそう無いんだよ。オレも最近そう割り切ってる、ホントに。そう考えると気持ちも楽だよ。

 

<卓さんにとっての「愛」とは>

 

「愛!?」

またそうやって大上段に聞いてくるねぇ~。

「愛でも恋でも持って来いやぁ~」って昔歌ってたけどねぇ。愛っていうのは難しいよなぁ。

子どもとかさ、好きな女の子とかね、やっぱり「好き」と言ってあげて、抱きしめてあげて、チューしてあげて、やってればちゃんといくと思うよ、これはマジで。

特にね、子どもの場合は怒ってるだけじゃ絶対ダメだ、こっちも(ナデナデ)やってあげないと。子どもは特にそう。

オレのオヤジはそれをやんなかったんだよ、だからダメだったんだ。だからオレと仲悪かったんだ。

ちっちゃいときに子どもにそれ(ナデナデ)やってると、性格メチャクチャ良くなる。昔のオヤジどもは厳しくやるのが美徳としていたけど、あれは悪しき慣習、あれは良くない。

またね、子どもは抱きしめてあげないと。いくら怒っても、いくらポンとやっても、最後は抱きしめてあげると絶対いいと思う。
最近の親なんてそういうのやるのかな?どうなんだろう、オレも判んないんだよ。

 

<最後は仕事愛?>

 

あ~仕事愛かぁ~。

仕事は真面目にやるしなぁ。

だってオレ、修行してた店にずっといたら、けっこう出世したタイプだと思うよ。
自分で言うのもなんだけどオレ、メチャ仕事できるから。まあ、不器用なんだけどね。(笑)

 

卓さん、長い時間ありがとうございました。

 

 


2019.4.22 MON

「一徳」にて。

取材:木澤聡
写真:小野千明

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