第十回:神長恒一さん【だめ連】

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「たのしく生きることについて」

2023年2月、無限大の交流を続けてきたペペ長谷川さんが旅立った。没後一年を待たずして刊行されたのが、「だめ連の資本主義よりたのしく生きる」という分厚い本である。

「だめ連」を発足させたぺぺ長谷川さんと神長恒一さんとの語り合いで埋め尽くされたこの本のなかに、手に取ることはかなわなかったものの、ぺぺさんの言葉と意思は、しっかりと、永遠に刻まれることになった。

どこか閉塞感が漂ういまの社会状況と、どんづまった資本主義経済に疲れ果てたぼくたち。お金中心の価値観、箔付け、競争、能力主義、そしてなんとかして「勝ち組」に入らんと懸命にうごめく毎日に、いつしか人生をたのしく生きることを忘れてしまったかのようだ。資本主義に囲い込まれ、資本主義しかないと思い込まされ、いつしかうつろになった目にも、いやいやそうじゃないだろうという視点が芽生えはじめている。

もうすこし広く考えてみること、とらわれているものを疑ってみること。そうしたもうひとつの、オルタナティブな発想と工夫がいますごく求められているのではないだろうか。

ひらかれた交流、たのしい社会運動、サウンドデモ、奇抜なイベントといったオルタナティブカルチャーの動きが、ここ高円寺を中心に活発化してきている。

中国のねそべり族をはじめ、さまざまな国境を越えた国際交流「NO LIMIT」の開催、いまや30以上の大学で次々にできている「だめライフ愛好会」の動き。そればかりでなく杉並革命とよばれる現象を牽引した一翼に、こうしたオルタナティブ系のひとびとの活躍があった。

32年間にわたる「だめ連」の実践と活動は確実に引き継がれ、ひろがり、いまや大きな花となって咲き始めている。

神長恒一さんに話をうかがった。「だめ連」と高円寺は切っても切れない縁がある。高円寺という街の魅力と特色は、期せずしてなのか、必然なのか、「だめ連」的なものと親和性が高い。

神長さんと高円寺の改札で待ち合わせ、そのまま北口広場でポートレイト撮影を開始した。するとすぐに知り合いが集まってきて立ち話となる。中通り商店街を歩いていると声がかかって、また立ち話がはじまる。「だめ連」の交流は無限大だ。

やっぱり高円寺は「だめ連」と仲良しだなあと、自然と頬がゆるんだ。

 

◎ 「だめ連」って?


―:それではゆるゆるとはじめさせてください。よろしくお願いします。

神長:よろしくお願いします。

―:このインタビュー前に寒い中、高円寺の街なかで撮影してきましたが、あちこちから神長さんに声がかかりました。

神長:ああいうところが高円寺らしいというか、いいところですよね。立ち話がはじまっちゃう。

―:知り合いがたくさんいるのですね。

神長:ペペなんかはもっとすごいですよ。10メートル歩くと知り合いがいますからね。

―そんな神長さんに「だめ連」と高円寺ついて、きょうはたくさんうかがおうと思っています。まずはじめに「だめ連」って一体なんだろうということから教えていただけませんか。

神長:あ、はい。けっこうね、「だめ連」ってなんなのって、自分でもよくわからなくなったりしていますが、この本(「だめ連の資本主義よりたのしく生きる」)に則していうなら、オルタナティブ的な生き方を模索、実践していくっていうことなんですけど。

―:オルタナティブ的な生き方というのは、たとえばどんなことでしょう。

神長:資本主義的な価値観ではない生き方を模索するっていうことです。あまり働かず、お金を使わず、たのしく生きていく。基本は、交流とトークをしながら、遊びつつ、社会変革も志しつつ、もうちょっとこうたのしくておもしろい社会になっていったらいいなと思いながら、いろいろとやっています。

―:「だめ連」を発足したのが‥。

神長:1992年です。

―:その発足当時のことを少しうかがってもいいですか。

神長:ぼくはもともとノンポリだったんですよ。大学はいるまでは学生運動とか全然知らなかったです。で、はいったときもバブルでね。バブリーな雰囲気でした。テニスサークルとかそういうのが流行っていた、ミーハーな時代でしたね。
ぼくは二文(早稲田大学第二文学部)だったんです。二年から専修にわかれるときに、西洋文化専修にすすみました。
二文で哲学系だったからかわからないんですけど、たまたまクラスにノンセクトラジカルで学生運動やっているひとが三人いて、そのうちのひとりがぺぺだったんですよ。
でもまあ、大学の全体の雰囲気からいったら、少数派でしたね。たしかに革マル派の立て看板とかはあったんですけど、一般的には学生運動ってほとんどないと思われていたころです。
大学在学中に、クラスにノンセクトラジカルの友人がいたので、何回か誘われてノンセクトの集会とか、イベントや行動に参加していました。イベントもバンドよんでやったりとか、どこか文化的でもありました。行っておもしろいなとは感じていましたが、積極的に主催者側として参加しているっていう感じではなかったです。
卒業後、就職して、十ヶ月で辞めて、そのあと行き場がなくて、ノンセクトの部室に行って、そこから学費値上げ反対闘争とか、なぜか学生運動をやることになってしまいました。

―:社会人になってから、学生運動をはじめた!

神長:そうなんです(笑)。会社辞めてからノンセクト入りするという。そこからしてもうへんなんですけど(笑)。でもぺぺなんかだと、けっこう真面目にやっていたので、それまでの学生運動の流れとかに詳しかったですね。
ぼくはそういう運動の歴史とか全然知らなくて、そこがぺぺなんかとは大きくちがうところでした。とはいえ自分の生きる人生で、もうちょっとこんなふうに生きられたらとか、社会はこんなふうになったらいいんじゃないかとかっていうことは思っていました。

 

◎ 「だめ連」の問題提起


―:そこで「だめ連」の結成となるわけですが、核となるテーゼみたいなものはありましたか?

神長:まず、「だめ問題」。「だめと思われたくない問題」ともいいますが、そういうのがありました。あと当時よく討論したのが、「ハク、うだつ問題」。箔をつける、うだつをあげるということに拘泥するのはどうなんだろうと。
同級生だったひとが「人生は箔つけだよ。」とか言ったことがあって、それに対してぼくとぺぺがすごく反応したんです。「重要な問題だ!」と。自分のなかにもそういう箔つけみたいなところがあったりして、それは世の中的にもそうだった。ブランド品買ったり、いい車乗ったりとか、みんなが高級というものに憧れていました。
ただそういう箔つけやかっこつけにこだわっていると、足元をすくわれるといいますか、なんか大事なことを置き忘れたり、見失ってしまうのではないかとも思っていました。「うだつ問題」もそうですが、みんなそういうかっこつけのなかで、もっと見失ってしまいがちなことへの捉えかえしをしました。
あとは「モテない問題」とか、ぺぺは当時童貞だったので、「童貞問題」とかね。「童貞を差別するな!」と。

―:それら「だめ連」独特の問題提起とか議論とかっていうのは、それまでの学生運動が掲げていた大きな問題とはずいぶん異なっているように思うのですが、そういうポップで、社会問題を身近に引き寄せていく発想というは、当時のサブカルチャーブームとシンクロしていたのでしょうか。

神長:ぼくもサブカルとかいろんなカルチャーが好きですけど、そんなにサブカル人間でもなかったですね。

―:ぺぺさんはどうでしたか。

神長:ぺぺなんかむしろ、そういうサブカル的なものから距離があったですね。このあいだちょうど谷保にあるかけこみ亭で「ぺぺ展」をやったんですけど、初日に大学時代のぺぺの運動仲間に来てもらって話をしたんです。
ぼく自身はぺぺの学生運動についてあまり知らなくて、あらためてたずねてみたらけっこうしっかり取り組んでいたことがわかりましたね。「学費値上げ反対闘争」とか、在日のひとの「指紋押捺拒否闘争」の裁判支援をしたり、すごく真面目にやっていたみたいです。そのひとがいうにはぺぺはすごく真面目な学生活動家だったと。

―:そういったたとえば「指紋押捺拒否問題」から「うだつ問題」に転換していくタイミングっていうのはどこにあったのでしょうか。それは神長さんが参加することでかわったということはありますか。

神長:ぼくがはいったというのも大きかったかもしれませんが、ぺぺ自身もやっぱそういうセンスや考え方というのはあったんでしょうね。
あとぺぺは、「人生」という言葉をよくつかっていましたね。「人生」について考えるっていうのを、お互いよくやっていました。そうすると、たとえばぼくなんか仕事辞めてたりして、「仕事問題」と題して、仕事ってなんだろうとか、働きすぎなんじゃないかとか、仕事にエネルギーと時間をとられすぎちゃうとか、そういうことをすごく感じていて討論しました。
やりたい仕事でもないし、いいと思っている仕事でもないのに、そういう仕事を長時間やって暮らさなければいけないって、けっこう大きな問題じゃないですか。でもあまりそういうことって語られてなかったんです。

―:いわゆる大きな問題と自分の人生に関わる問題とをぐっと引き寄せて、社会に問うたのが「だめ連」だったように思います。自分ごとを社会問題として逆照射するといいますか。その発想の転換がおもしろいなと感じています。

神長:だからまず自分の人生がもうちょっとおもしろいものというか、豊かでたのしくしていくというのが重要だというところから、ぼくなんかははじまっています。だからこそ「だめ問題」とか「ハク、うだつ問題」が主要なテーマになっていったんです。ぺぺもそういう視点を持っていました。

 

◎ 資本主義よりたのしく生きる


―:「だめ連」というネーミングもそうですが、旧来の社会運動に比べて、いろんなことがポップだと感じるのですが、そういうポップさというのは意識的だったのでしょうか。

神長:ごくごく自然にという感じでしょうか。それまでの学生運動のことを知らなかったし、それはのちにわかったりもするんですけど、やっぱり自分の問題をやりたいなという気持ちが強かったです。それでそういう問題設定になっていったところがあります。自分の問題が社会の問題としてあるというか、重要なんじゃないかと思っていました。
あとになってウーマンリブの本とか読んだら、「個人的なことは政治的なことだ。」っていう言葉があって、自分なりにああそうだよなって納得したりしていました。
最初のころは、お笑いのグループというか、ぼくもぺぺもギャグが好きだったんで、けっこうふざけてお互いにギャグをいいあっては笑い転げてたりしていました。そういうなかから出てきた言葉なので、ポップかどうかは別として、なんか自然とそうなったところはあります。

―:八十年代の日本社会の金まみれのイケイケ感や、自分たちの親が築いてきた仕事中心の価値観に対して、そこからはずれてみよう、降りてみようという意識、カウンターとしての意識はありましたか?

神長:それはありましたね。ぼくは就職して、なんとなくサラリーマンとしての人生が見えたときに、これはあまりおもしろくないなと思って、辞めたわけです。そのときは「だめ連」をやる前ですけど、就職しないで生きていこうと決めました。
ただ単にサラリーマンがとか、仕事がとかじゃなくて、それまでは普通にレールに乗って生きていた感じで、資本主義のなかにいながらも、資本主義よりもたのしく生きることを考えはじめていました。資本主義的な人生とか娯楽とかって、あまりおもしろくないなって、自分はひととおりそうやって二十何年間か生きてきたけど、なんか全然おもしろくないなと思っていました。

―:そのあたりの感覚は、神長さんとぺぺさんは一致していたのでしょうか。

神長:ある程度は一致していたと思います。「だめ連」をはじめたころ、当時「恍惚派」と「不安派」って言われていたんですけど、ぼくはもう確信犯的にそういう資本主義から降りるということを言っていて、働かないほうがいいんじゃないかとか、自由に生きていったほうがいいんじゃないかとかって主張していました。ぺぺは「不安派」系というか、なんというのかな、気がついたらそうなっていたところはありますね。戸惑いや不安があったんですが、いま思うと意外なんですけどね。

 

◎ 交流無限大!


―:そういう自分の人生の問題を社会活動化していくところがユニークだと思います。具体的にはどんな活動をしていったのでしょうか。

神長:最初のころは、ぼくとぺぺでいろんなイベントに出かけていって交流をしていました。「だめ連」を名乗って、そこでトークしたりする。だいたいが仕事の話だとか、性・恋愛の話だったりが多かったです。そういう身近な人生トークです。人生トークをしていくなかで、それぞれの厳しい現状や訴えがでてきて、それを社会批判へとつなげていく。それがぼくとぺぺの芸風なんです。
そういう感じで交流していたんです。最初はぺぺのまわりの運動系のひとたちと交流していたんですけど、そのあとはぼく自身がアート好きということもあり、サブカル系のひとたちとの交流がはじまったりしました。
ぼくがぺぺを誘って音楽系のイベントやライブに行ったり、自主映画会やテント芝居に行ったりしていました。ぺぺもそういうのにつきあってくれるから、ふたりでそういうひとたちとも交流を深めていきました。
そうしていくとおもしろいひとたちにいっぱい会えて、そのうちに自分たちが主催して「だめ連交流会」をやろうということで、中野駅前の公園に集まって交流しました。

―:イベント側にとっては「だめ連」は論客だったりするわけですか?

神長:いやいやぜんぜん有名ではなかったので、そんなことはないです。イベントが終わって打ち上げがあるじゃないですか、そこによばれてもいないのに紛れ込んで交流するんです。

―:議論をふっかける?

神長:そんなんじゃなくて楽しくトークするって感じで。そのうち徐々に食い込んでいって知り合いが増えてって感じでした。あのひとおもしろいなとなると友だちになったりしてね。

―:「だめ連」の活動の柱は、まず交流するということなのですね。

神長:そうです。

―:それ以外にはなにがありますか。

神長:イベントですね。自分たちでイベントを企画し主催していきました。「交流・イベント・諸活動路線」とかいっていました。

―:どんなイベントなのでしょうか。

神長:最初は「だめ連交流会」といって、ただ集まって、酒とか買ってきて朝がたまで延々とダベってるという会でした。そこで人生トークとかしたり、くだらない話をして笑ったりとかしていました。
あとは「ロフトプラスワン」で、しっかりとテーマを決めて、ゲストを招いてトークセッションをやりました。
そこでは仕事の話、性・恋愛の話、住宅問題とかを話し合いました。そのうちだんだんと、当時「こころ系」とよんでいたんですが、いまでいうメンタルの問題を抱えたひとたちが「だめ連」に集まってきたりして、こころの問題が急浮上していました。それをうけて「こころ問題」のイベントをやったりしていました。

 

◎ そしてデモる


―:交流で仲間を増やし、イベントでテーマをしぼったトークセッションをすることで、それぞれの個の問題を社会問題として可視化していくということを続けてこられたわけですが、実際に街にでてデモをやっていくというのも「だめ連」の活動の骨子にありますね。

神長:デモはむかしからよく行っていました。デモは主催するというよりは、ひとのデモに参加するというのが多かったですね。

―:どういうデモに参加するというのは決めていたのですか?

神長:ほとんど友人関係でしたね。当時ノンセクトの市民運動系のデモがあって、しょっちゅう行ってました。あとそのときどきでいろんな行動があったんです。最初のころですが、あの当時、神宮橋にイラン人のひとたちが毎週日曜日に集まってコミュニティができていたんですけど、それを国が排除しようとしていて、イラン人たちを締め出そうとしていたことに抗議する活動もしました。
そのあと90年代なかばだと、ちょっと不況になってきて、新宿西口の通路にホームレスのひとたちが集まってきてダンボールハウスができるんです。そういうひとたちの支援活動の手伝いもやっていました。むかし山谷に行っていたときもありました。

―:そういう無差別といいますか、実に多岐にわたる活動というのが、いかにも「だめ連」らしいのではないでしょうか。

神長:そうですね。ひとつの課題を愚直にやるという感じではないですから。真面目な運動でもあるんですが、交流でもあるという。無節操にあっちこちに行っていましたね(笑)。

 

◎「だめ連」と高円寺


―:さまざまな交流や活動をしてきた「だめ連」ですが、ここ高円寺との関わりっていうのはどんなものがあるのでしょうか。

神長:いろいろあるんですが、どっちかというと中野の駅前で交流会していて、ぼくも中野のアパートに住んでいたりして、中野が多かったんです。でも途中からぺぺが「高円寺ラスタ庵」という家に住み出して、共同生活をはじめるんですね。それがちょうど高円寺と中野のあいだにあったんです。
「高円寺ラスタ庵」は平屋の木造のいい家で、男四、五人くらいで共同生活していて、そこが居心地がいいということで、「だめ連」界隈のひとたちがよく来るようになっていったんです。高円寺というとその「ラスタ庵」が思い出深いですね。
ほかにも「岡画郎」といって、かわった画廊が高円寺の南口のほうにありました。マンションの一室でやっていて、そこに毎週土曜日に定例会といってみなで集まって話をしたりして、よく行ってましたね。
それ以降だといろいろあるけど、やっぱり松本哉さんの「素人の乱」が高円寺ではじめたのが大きいです。北中通りだと「セピア」っていう飲み屋さんに行ったりしていましたが、その後「なんとかBAR」ができて、ぺぺも店員をやっていました。「素人の乱12号店」というイベントスペースによく出入りしていました。
ぺぺは高円寺北口広場とかが好きだったんですけど、ぼくも一緒になって「路上飲み会」「路上交流会」とかを企画していたんです。そのときは南口の広場でやっていましたね。

―:「だめ連」と高円寺の街とひとっていうのは相性がよかったのでしょうか。

神長:それはまちがいなくありましたね。早稲田で「あかね」っていうスペースを「だめ連」がやるんですけど、初期のころに場所を変えたらいいんじゃないかという話になって、ぼくは高円寺を主張したんですよ。その候補物件もあったんですけど、断られちゃって、けっきょくできなかったんです。ぼくは高円寺でやりたかったというか。

―:神長さんはどうして高円寺でと思ったのでしょうか。

神長:やっぱりおもしろいひとが多いというか、バンドやっているひととか、おもしろい飲み屋とかいっぱいあるから、高円寺でやればそういうひとたちとつながれるんじゃないかと思っていました。自分らはできなかったけど、松本くんがやってくれましたからね。ぼくなんかには、とてもあそこまでできない。
やっぱり中央線界隈に仲間が多いですね。

―:「だめ連」の交流活動で知り合ったひとが中央線界隈に多かったということでしょうか。

神長:それもありますが、やっぱりおもしろいひとが多いというか、自由に生きているひとが多いですよね、高円寺とかは。ぼくにとってもずっと憧れの街で、ある種の中心っていう感じです。独特だし特別だし、やっぱり一番おもしろい街だと思いますね。自由な街だし、居心地がいい街ですよ。

―:「だめ連」がいい街だなと思う街って、どんなところでしょうか。

神長:やっぱり自由な街っていうことですよね。さっきもそうですが、ちょっと歩くと友だちがいて、立ち話に花が咲くというか、そういう気さくさがいいですよね。交流があることが大切だと思います。いま、そのへんの東京の街って、交流がないっていうか、みんな黙って歩いている。
あと街の雰囲気がゆるいっていうのも重要ですね。気取ってないというか、キャピタルな街になっちゃうと、かっこつけてオシャレすぎちゃったりしてね。そうなっちゃうと解放感や自由さが失われていきますよね。気さくさは重要ですね。

 

◎「だめ」を引き継ぐ


―:高円寺という街は非常にリベラルな側面があって、市民運動レベルですごく大きな反原発デモが起きたり、「素人の乱」の松本哉さんたちを中心に国際交流会「NO LIMIT」がひらかれたり、はたまた女性区長を生み出し、女性議員が男性議員よりも数において上まわる杉並区議会を実現してきました。

その大きな流れの根底というか、一角を確実に支えているのが、高円寺のオルタナティブ系の市民運動だと思っています。かれらが若い人たちを巻き込んでくれたからこそ実現できたことがたくさんあります。
そのひとつひとつを見るとそこに「だめ連」の遺伝子をたくさん発見できるのですが、そういった認識は神長さんにありますか?

神長:ないわけではないですね。実際にデモやっているのもみんなよく知った仲間たちばかりですしね。でもあの最初の「反原発デモ」は画期的でしたね。2011年の4月10日だったかな、あれはほんとうに画期的なことで、非常に感動しました。
サウンドデモをはじめ、新しいデモスタイルも、いろんな流れのなかでできてきたものですが、その多くが仲間がやっていたり、「だめ連」のぼくたちもよく参加していましたね。
「フリーター的なもの」を中心に、その労働問題やっているひとたちが「自由と生存のメーデー」というのを毎年メーデーにやっていたんですけど、それもサウンドデモでした。松本くんたちがやっていたサウンドデモはもっとはっちゃけたおもしろいものだったんですけど、いずれもデモ自体が喜びでもあり、お祭りでもあり、たのしみでもある、そんなデモがいいなと思います。
「だめ連」も言い続けてきたのが「たのしい運動」ということだったりして、運動自体をたのしむ、デモをたのしむみたいなことだったりする。そういうたのしい空間を作っていく、まさに「資本主義よりたのしい」空間を作っていうのが、世の中や社会をおもしろくしていくんじゃないかって思います。いまをたのしむことが社会をたのしくしていくという考えは共通しているんじゃないでしょうか。

 

◎カオスこそが街の魅力


―:高円寺の魅力として、おもしろいひとや自由に生きているひとたちが多いと神長さんはおっしゃいました。おもしろいひとや自由に生きているひとが集まりやすい街のかたちってどんなものだとお考えですか。

神長:やっぱりこう、猥雑さっていうか、ゆるさみたいなもの、ちょっと汚い感じとかね、そういうのは重要だと思います。さっきも撮影で路地とか歩いてきたじゃないですか、ああいうゴミゴミした路地とかいくとワクワクしますよね。
再開発してきれいにしちゃうと、いまなんかどこも似たような建物ばかりになって、チェーン店がいっぱいあってっていうのは、どこかおもしろみに欠けますよね。ああなっていくとつまらない。
いろんな個人商店があって、個性的なお店があって、そこにいろんなひとが集ってくる。そういう混沌とした、カオスっていうのが重要ですよね。高円寺はその代表的な街でしょう。
一番おもしろいですよね。なかなかこんな街、ここまでのレベルの街は、ほかに見つけられないんじゃないかな。まあ、歴史的な積み重ねがあるにせよ、奇跡的でもありますね。こうしておもしろい街ができてきて、そこにおもしろいひとが集まってくるという、非常に重要な場所ですよね。

―:「だめ連」が提唱する「たのしく生きる」ためには、たのしく生きることができる場所が不可欠です。たのしく生きることができる街がますます必要になってきていると感じます。

神長:再開発して、小綺麗にして、チェーン店ばかりな街並みでは、平板な感じっていうかね、監視カメラに見張られてどんどん息苦しくなっていってしまう。単に目的だけの街になってしまって、ハプニングが起きないというか、寄り道のない場所になってしまいますね。偶然の出会いとか交流とかがあるといいのに、そういうのがなくなっていっちゃうように思います。
いいことも悪いことも、いろんなことが起こるっていうのが、ほんとうはおもしろいんですけどね。

―:ここ高円寺でも再開発の話が以前からあります。阿佐ヶ谷や西荻窪にもあります。商店街や住宅地をつぶして道路を通したいようなのですが、そういった大手デベロッパー、行政、土地所有者の思惑や狙いっていうのは、やはり整然ときれいにして利便性と公共性を最優先してきます。いまあらためて「だめ連」的な考えが浮上してきているというのは、そういった強行するお上の意思に対する市民の抗いとも言えるのではないでしょうか。杉並区長選、区議会議員選でも再開発は大きな争点になっていました。

神長:さっき歩いた庚申通り商店街、稲生座があるあたりなんて、素晴らしいじゃないですか、休みの日なんかすごく賑わっていて、もう歩いてるだけでたのしくなっちゃいますよね。みんなたのしそうに歩いているのに、なんでそれをつぶすんだよってね。まったく意味がわかんないというか、怒りがわいてきます。
まったくふざけてますよね。素晴らしい文化じゃないですか。それをつぶそうっていうのはほんとにふざけきってますよ。一部のやつが、金が儲かるからやろうとしてるんでしょうけど、だいたいのひとにとってはつまらなくなっちゃいます。

 

◎もうやってられん!パワー


―:「だめ連」ができて三十二年、その間っていうのは一貫して「だめ」を排除していく年月に重なると思うのですが、そういっただめなものとか猥雑さとか、異端を追い出していった結果が、いまのこのどんづまった社会のありようではないでしょうか。

神長:資本主義がぶいぶい言わせて、それで煮つまってきて、みんな息苦しくなっていった三十年だったと思います。
それでもそこにしがみつくひとは、あいかわらず競争に参加するってことになっているんでしょうけど、そうやっていると自分を切り売りするというか、自分のこころも売り渡さなければならない感じで働くことになったりしますよね。
このまま資本主義やっていても、未来はないっていう感じがします。希望がないっていう状況だと思うんですよ。いままでの支配的な価値観とは根本的にちがった生きかたや価値観でやっていかないと、もうどうしようもなくなっていると思います。
この認識というか考えはぼくが仕事を辞めたときから持ち続けているのですが、残念ながら、状況がどんどんひどくなってきた三十年でもあったと思います。その間、「だめ連」的に抗い続けてきたんですけど、まあ微力だったというか、大枠では権力サイドが、があっと勝っちゃってるんだけど、ここまで息苦しくなると、さすがに反撃が起きますよね。これじゃやっていけないと、そうじゃない生きかたをせざるを得ないという動きがでてきても不思議じゃないですよね。
だからこそ「NO LIMIT」のイベントに、ねそべり族もそうなんですけど、あとは「だめライフ愛好会」のひととか、同じような思いを持った海外のひとたちがたくさん参加していました。
そのなかで海外のひとと話すと、実はどこも似たような問題を抱えているということがわかったりします。同じような二、三十年を過ごしてきて、もう嫌気がさしまくっているわけですよ。こんな資本主義社会の論理に乗っかってやってられるかって。お金中心で、しかも悪いことばっかりやらされる。もうそこから降りて、別の感じでやっていくぞと思っているひとは世界中にいっぱいいますよ。

―:そういった「もうやってられん!」と叫ぶひとたちの結集というのが大きな運動の流れを作っていきそうな予感っていうのはありますか?

神長:その実感はあります。ぼくも交流といって、ぺぺもそうですが、三十年やってきましたが、いまはむかしにくらべると、オルタナティブなイベントっていうのがすごく増えています。行くといろんなひとに会えて、みんないろんなことを考えてそれを行動に移している。そういうひとっていうのが、すごく増えていますね。2000年代のときも「反グローバリゼーション運動」っていうのが世界的にありましたが、そういった流れというのは連綿と続いています。

 

◎どんづまりを切り開く


―:「もうやってられん!」というひとは確実に増えてはいるものの、戦端を開くまでの沸点には達していないということでしょうか。

神長:ちょっとまえにアメリカのアナーキストのひとたちと交流する機会がありました。彼らから聞くところによると、ジョージ・フロイド蜂起、ブラック・ライブズ・マターのムーブメントで、報道されていない部分もたくさんあって、あの運動は実はものすごかったようなんです。
ほんとうに暴動だったと。みんなの怒りがもう沸点に達して、もう警察署とか燃やしまくちゃったりして、街でも店を壊したりとか、かなりアナーキーな状態だったと言っていました。
アナーキストのひとたちですら、そんな状況になるとは思ってもみなかったと驚いていました。その話のあとに「だから、起こりますよ。」って言うんです。
いやあ、日本でそんなこと起こるのかなと思ったけど、ひょっとすると、という気持ちになっています。ただどういうかたちで起こってくるのかは、まったく予想できません。
この本でもちょっと触れたのですが、日本のひとってなぜか外に向かって怒らないでしょ。なんか自分に向かってしまう。やってられるかというのが、ひきこもりだとか自傷行為、ときには鬱になったりとか、とにかく内に向かってしまう傾向にあると思うんです。それはほんとうは外に向かって、敵に向かっていけばいいんだけど、そうはならない。
これは悪い例なんだけど、ぼくとぺぺで「絶望犯罪」って言ってたんだけど、死刑になりたいがためにひとを殺すとか、たとえば京都アニメーションの事件みたいなのとか、小田急線、京王線で刺しちゃったりとか、ああいうゆがんだかたちで外に向かっていくこともある。
よくないのは強いものに向かっていくのではなく、弱いひとや庶民をやっちゃうことだと思う。あるいは安倍元総理銃撃事件の山上さんとか、あのひとはちゃんと敵を見据えているけど、いずれにせよ、現時点ではそういうかたちで表にでてきていますよね。抵抗の行動としての、ひきこもり、不登校、絶望犯罪。

―教育の現場でも、教師がメンタルをわずらって学校に出てこられないだとか、不登校生徒が小中学校で約三十万人に達しているとかっていうのは、資本主義に大きなダメージを与えていますよね。会社でもメンタルで出社できないひとがいっぱいいたりする。これも資本主義にストップをかけているといえるのではないでしょうか。

神長:ある種のヒューマンストライキだと思います。でもそれは自然なことですよね。だってたいへんじゃないですか、週に五日も六日も、朝早く起きてヒゲ剃って、スーツ着て、電車乗って。で、会社いってずーっとパソコンながめてカチャカチャやってね。
やってることがほんとうにいいことなのかもわからず、場合によっては悪いことだったりしながら仕事してなんて、そんなの耐えきれないでしょう。つらいとかサボりたいとか、そんなに働きたくないとかっていう、もういい加減こんなことやってられないというのはあたりまえだと思います。

 

◎たのしく生きるための発想と工夫

―親しくしている友人が「だめ連の資本主義よりたのしく生きる」を読んで、その感想が『すべての図書館に一冊は必ずあるべき本』だと。

神長:おお、それいいですね。

―:それはつまるところ、資本主義でこじらせてしまったひとが手に取るべき本だということだと思います。これほどたくさんのひとやこどもがわずらっているときに、世のおとなたちは導く手立てを持っていない。
そんななか、わたしはだめなんじゃないか、社会的に不適合な不良品なのかと自分を責めているひとに、「だめ連」は、いやいやまったくそんなことはなくて、むしろまっとうですと。そして、こうしてみたらずっとたのしく生きられるよってやさしく教えてくれます。
この本には、そういった発想の根本からの転換とたのしく生きるための工夫がいっぱい詰まっています。こじらせてしまったひとたちがこの本と出会うことで、そこにひとすじの光をみるのではないかと思っています。

神長:だいたいみんな煮つまっちゃってると思うんですよ。いま社会に適応しているひとも同じように煮つまっている。そんななかこの本のテーマが、ポスト資本主義アナーキズムなんですが、資本主義しかないように思い込んでいるけれど、そうじゃない生きかたとか社会っていうのがあって、そういうものを考えなければいけないのではないかと思うんです。希望がない時代だからこそ、なんとか希望を提示したいんです。
自分たちが長いこと交流してきた経験から、星を見る、デモに行く、オルタナティブなイベントに行く、たき火をする、海水浴に行く、そんなことをいっぱい書いたのですが、そのひとつひとつがとても重要なんです。
そのうちのどれかひとつに引っかかって、それが突破口になっていけばいいなと思うし、またはこの本を読むとそういうことがたくさん載っていて、全体としてポスト資本主義の方向性のビジョンが見えてくるっていうのもあるかもしれません。あとはそのひとなりの読み取りかたで、なにかを感じてもらえればうれしいですけどね。

―たのしく生きるための発想とその工夫ですね。

神長:身近なところから、ちょっとやっていく。たとえば自分で野菜育てて、それを食べてみるとかっていうだけでも、ちがうと思うんですよ。なんでもお金で買って、それを消費するっていうだけじゃなくて、食卓にひと品そういったものを加えることで、ちょっと変わっていく。
山登りに行くんですけど、寝坊なんで家をでるのが遅いんですよ。そうすると下りる頃には夕方になっていて、だんだんと暮れて暗くなっていく。足元危ないんだけど、ギリギリまでライトをつけずに、電気のない自然の光のグラデーションを身体で感じて、本来ある世界の広さや姿みたいなものを体感したりします。そんな簡単なことも、なかなかできなくなっている。
ぺぺは「資本主義はカルトだ!」っていっていたんですけど、ぼくたちはすごく狭いところに閉じ込められてしまって、これがあたりまえだって思わされている。

しかし実は世界っていうのはもっと広くて、豊かで、いろんな可能性があるんです。そのことを身体で体験することはとても重要だと思います。焚き火するとかね。

 

◎全国高円寺化計画⁉︎

―「だめ連の資本主義よりたのしく生きる」の表紙は焚き火ですね。

神長:そうなんです。焚き火って、抵抗っていう感じもあるんですけど、あたたかさや希望っていう意味も込められています。薪が集まると、火が燃え上がるイメージですね。
資本主義って分断していくじゃないですか。個人と個人を切り離して、個人ががんばるように仕向けて成功すると、あいつすごいとかね。そういうのってつまらないじゃないですか。もっとみんなで、有象無象で集まって交流していけば、いろんな話になるわけです。遊んでいればいろんなアイデアとかがどんどんわいてきたりすると思うんですね。

―:さきほど高円寺は奇跡的で稀有な街だとおっしゃいましたが、全国のあちこちに高円寺的な街ができたら、いろんなことが変化していくんじゃないでしょうか。

神長:すごくおもしろくなるでしょうね。この本がきっかけでいろんな地方にでかけることになっているんですが、地方にもオルタナティブなおもしろいひとがいっぱいいて、そこで交流しようと思っています。
そこの場所に行って交流の輪をひろげていく、つながっていくことによって、そこが高円寺の街のように自由になっていけばいいなと。日本中、高円寺化計画を仕掛けたりしてね。

―高円寺化計画⁉︎

神長:なかなかここまではすぐにはできないでしょうけれど、その土地その土地でより自由なものになっていったら、これはもうたのしいですよ。おもしろいし、なにより、自殺やうつが減ります。
「だめ連」で「平日昼間問題」っていうのがあって、平日の昼間にぶらぶらしてると後ろ指さされるんじゃないかとか言ってたんです。でも高円寺にくると、さっきの中通り商店街であった友人たちは、夕方はやい時間やってる店に飲みに行くところだったりする。
もっと言うと北口広場で会った友だちなんか、ずっと飲んでいて、そのままどこかでジャンパー一枚のまま寝ちゃって、起きてまた飲んでたりする。そういうことをしょっちゅうやってたりするんですけど、そういうひとたちが、ごくあたりまえにいるっていうのがすごく重要というか、ああいうひとたちがのびのびと生きてるっていうのが、一番重要だと思います。

―狭隘ではなく寛容な街、いろんなひとが一緒に生きていく社会の実現が大切だと思います。

神長:「だめでもいいじゃないか」じゃないですけど、やれ生産性だの効率だの能力だのって追求していっても、それって要するに金儲けにどれだけ貢献できるかって話じゃないですか。そんなことで測られちゃう傾向が強まってるけど、別におれら金儲けや資本主義のために生まれてきたわけじゃねえよって感じですよね。ぼくたちはよろこびのある豊かな人生をみんなでたのしく生きているんですから、それをそんな物差しで測るなよって思います。
「だめでもいいじゃないか」っていう寛容さをみなが持てば、その寛容さはいつか自分にも向けられるんですよ。逆にそういうのを認めないってなると、悪い意味でかえってきてしまいます。生活保護バッシングとかホームレスバッシングとかって、そういうのはぜんぶ自分にかえってきちゃうんですよ。結局自分の首が締まっていく。
そういうのは最悪ですよね。息苦しくなってどんどんつまらなくなっていく。経済ばかりじゃなくて、ひととしてたのしく生きるっていうのは、ごくごくあたりまえのことなんです。

 

◎「だめ連」のこれから、そして愛

―ぺぺさんを失った「だめ連」ですが、神長さんのこれからの展望と活動を教えてください。

神長:基本的にはいままでと変わりはないのですが、この本がひとつの叩き台となって、ここをスタートラインにしようかなと思っています。
「だめ連の資本主義よりたのしく生きる」では、これまでやってきたこととか考えたことをいろんなジャンルで提示しているのですが、それをみんなに読んでもらって、どんどん交流していこうと思います。
おもしろいことやっているひとっていっぱいいますから、交流しながら、こうしたらもっとおもしろいんじゃないかってことをみんなで一緒に考え、実践していきたいです。いろんなことをたのしみながらやっていけたらと思っています。
現にいまも、こうやっておもしろい生きかたや空間を作っていくことが、ぼく自身がたのしく生きることになっているし、世の中もおもしろくしていけると信じています。

―最後の質問になりますが、神長さんにとって「愛」とはなんでしょうか。

神長:ひとと知り合ったりして、そのひとのことを好きになったりして、文字通り愛おしく思う、そういう気持ちじゃないでしょうか。そしてそれはみんなが持っているものじゃないでしょうか。
毎日はそんな愛の連続といいますか、きょうもあのひとにこんないいことをしてもらったとか、こうしてもらったとかあって、それはほんの些細なことでいいですけれど、いろんなひとの愛をいっぱい受けて生きていますよね。だから実はみんなすごく愛を持ってるんだなあって思います。
なんかでこう、経済や自民党政治とかのせいでこんなふうになっちゃっているんだけど、そこがなんかの拍子で崩れたり、取っ払われたりしたとき、けっこう愛にあふれるいい空間、いい社会が現れるんじゃないかなと思うし、そういった社会の実現はじゅうぶんに可能だと思います。

 




2024.03.21TUE
高円寺「一徳」離れにて

取材:北原慶昭 木澤聡
写真:小野千明

 

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