第八回:葉 丹美さん【永發のママ】

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ママと呼ばれる人がいる。

 

小料理屋のママ、スナックのママ、商店のママ、占い師のママ。

そこに通う人は、親しみを込めて、敬愛を持って、とても頼りにしているから「ママ」と呼ぶ。

ときには帰って来たい場所にいなければいけない人として「ママ」と、甘えたい気持ちで呼ぶ人もいるのだろう。

いずれにしても「ママ」と呼ばれる人は、そう呼ぶ人みんなに愛されている。

それは、みんなのそれに負けない愛を与えているからなのだろう。

 

「永發」の葉ママがそうだ。

高円寺にわんさかいるバンドマンたちや若手の芸人さんたちやサブカル信仰者さんたちに無条件に愛を振りまいて、そしてみんなから愛されて「ママ」と呼ばれている。

葉ママの高円寺における子どもたちはママに会いたくなると「ママ、会いに来たよぉ~。」とやってくる。

そこは彼らにとっては帰ってくる場所。

帰ってきた子どもたちを喜んで、愛情を持って受け入れてくれる葉ママのことをみんな知っているから。

そう、葉ママは高円寺のみんなのお母さん。

 

高円寺で力を溜めて、売れて有名になって羽ばたいて行く子たちもいるだろう。

でも、みんな世話になった街である高円寺を、愛してくれた葉ママを忘れないだろう。

そして、今までも、今も、これからも、そんな連中が「ママ、ただいまぁ~ 。会いに来たよ~。」と訪ねてくるのが、高円寺という街なんだと思う。

 

 

<台湾から日本へ 高円寺へ>

 

名前は葉 丹美(ようたんみ/イエ タンメイ)です。

年齢はご想像にお任せします。(笑)

台湾の南西側の嘉義(かぎ/ジャーイー)の出身です。そこで生まれました。

嘉義は昔、「台南州立嘉義学校(現国立嘉義大学)」が甲子園の高校野球(当時は「全国中等学校優勝野球大会」)で決勝まで進んで準優勝になって(1931年)有名になりました。

お店の「永發」は、お米屋さんだった実家の名前をもらいました。実家はもう100年くらいやっています。

実家は「封建」の家でした。貧しくはなかったけど厳しいしきたりとかがあって「イエス」しか言えない。「ノー」は言えなかった。今でも食事は男の人が先で、男の人が終わってから女の人が食べられます。
封建の家だから男の人は大学に行かせる、女の人は専門学校で字が読めればそれでいいみたいな。そうやって偏見されてたけど、わたしは日本に留学したかった。

50年ぐらい前からおじいさんが東京の池袋で商売をやっていて、実際にわたしのおとうさんのお兄さんの子、いとこが先に留学してたんです。

何年も何年も反対されちゃって、でもやっと来られちゃって、なの。

わたしの家だけ代々、躾や教育が厳しかった。天皇陛下の家も厳しく教育されてる。家は天皇陛下じゃないけど、昔はお米屋さんも信用金庫。信用金庫やってたからお金もあって教育・保険が続いてる。だからそれは守らなくちゃいけない。

今回、開店した「永發」も実家に頼んでお金を送ってもらってお店を作ったんです。高円寺で働いているだけでは店をやれるほど稼げないよ。コロナ禍で大変だったけど、苦しかったけど、みんなに会いたいからそうやって店を出しました。

実家の人たちは税理士とか銀行家とか務めている人が多いです。でもわたしは高円寺で店をやっていて、実家の人たちは笑っちゃうかもしれないけど、高円寺が好きで実家にいるより開放感があるから、これでよかった。

高円寺にいるとみんなにしょっちゅう会うから、離れられないよ。ミュージシャンとか芸人さんとか、世界はぜんぜん違っているからこそで、楽しいから離れたら寂しいよ。だからこそ精一杯やってるよ。

<日本に来てからのお話>


池袋にいとこがいたから、他の国よりは日本に留学するのは気が楽でした。台湾にとっても日本は同じ「東洋」だから近いし、親しみも憧れもあります。台湾の人も池袋や新宿にたくさんいますから。

留学したのは遅かった。26歳のとき。日本語学校、医療学校に行ったんです。調理学校も通った、経済の学校も通った。実家が商売してたから経済を勉強しないと出してくれない。日本に来たら行動が自由になるけど、やっぱり台湾に帰るとそうもいかないから。(笑)

留学はもちろん両親には反対されたけど、実家がお米だけじゃなくて木材の商売もやってて日本からもよく電話がかかってきてた。でも電話に出ても日本語わからない。わからないから興味がある。とても勉強したかったの。

学校を出てしばらくは、通訳の仕事をしてました。明治製菓とか東芝や日立の役員さんを、現地の現場に連れて行ったりして。半月で300万円もらってました。いい給料でした。それで浜松町にマンションを買って、お母さんを引き取りました。

でもお母さんは脳梗塞で倒れてしまいました。救急車に乗って病院行って・・。大変でした、観光ビザだったから。そしてお金。なんとか入管手続したけど、すぐには国民健康保険取れないですよ。
お母さんは要介護、要支援になって、わたしは仕事も全部辞めて。台湾からもお金送ってもらったりもしたけど、付きっきりじゃないと治療もしてくれない。入院した慈恵医大病院にも長くはいられなかったので、病院があちこち探してくれて、都立豊島病院に受け入れてもらえたんです。ここは脳神経外科が有名な病院で、お母さんの意識も戻ったんです。豊島病院の先生にも、慈恵医大の先生にも感謝しています。

そんなこともあって、飲食業に転職する覚悟を決めました。夜の仕事なら、昼間はお母さんの面倒が見られますから。

保険が使えないから2年間でびっくりするぐらいお金もかかって、お母さんと住むところを探そうとしても、車椅子だから大変なんです。なかなか入れてくれない。2年間、散々苦労してがんばったけどどうしようもないから、お母さんを飛行機に乗せて台湾に連れ帰って、弟に託して。今は24時間ヘルパーさんが介護してくれてます。

<飲食業に転職 そして高円寺に>


飲食業に転職して入ったのが、高円寺の「福來門」。

もう蓄えていたものも無くなったんだけど、台湾に戻ったお母さんの介護費用も稼がなくてはいけない。そんなときにたまたまある求人広告を見たの。深夜の仕事。それが「福來門」。高円寺もそれまではぜんぜん知らなかった。

わたしが働きだした当時はそんなに忙しい店ではなかったんだけど、わたしが勤めた深夜から朝の時間帯は大忙しになってきた。深夜はひとりで昼の売上げの3倍ぐらい稼いでました。

駅からも近いし、お料理は安くてお腹一杯になるぐらい出しますから、接客さえ良くして楽しい店にすれば、もっとお客さんが入ってくれると思ったから。

6年半の間、すごく一生懸命やってきたので、お客さんはとっても応援してくれました。でもお店の社長はなかなかそれがわかってくれなくって、辛かったんです。わたしは雇われママだったから。

高円寺はバンドマンが多くて、みんなお金も無いし、若いから飲み方もヤンチャな人ばかり。「ババァ~」とか呼ばれて、最初は嫌だったけどだんだん慣れてきたら「ハァ~イ!」って。(笑)

ホントは自分の子どもたちじゃないんだけど、愛情を感じてきて、もうお母さんになっちゃったのね。

「ババァ、会いに来たよ~。」「ハイハァ~イ。」ってね。(大笑)

お客さんと重ねて重ねて、その子たちのライブ観に行ったり、今は有名になってる芸人さんたちの舞台を観に行ったり、そういうつながりがあるから離れない。コロナだからって実家から戻って来い言われても、台湾には帰らない。

 

<「永發」をオープンしました>


コロナで大変な時期なのに本当にできるの?って、いろいろ言われましたけど、昨年(2020年)の8月に、この自分のお店を始めました。

大変だけどわたしだからこの店だから、わたしひとりでもできるんです。この店は厨房の中で料理を作りながらでも店全体が見える。だから大丈夫。飲食店は自分で料理ができないとダメ、ホールができないとダメ、接客できないとダメ。そういう基本をわたしは「福來門」の深夜をひとりでやってきて覚えてきたの。だからできるんです。

この店は楽しく癒すの。今、新しい飲食店の勉強中。お客さんが個人店でも楽しく満足してくれる店がいいんです。歴史があっても堅いお店は好きじゃない。

高円寺っぽい店って言うけど、高円寺っぽいって何よ? わたしにはよくわかりませんよ。(笑)
高円寺っぽいの? ヤバイよ~。 だからわたし台湾に帰れないんだよ。(大笑)

接客業なんだから、人の顔や名前は覚える、誕生日も覚えててLINEでももらうと嬉しいでしょ。ライブやるよって聞いて観に行くでしょ。差し入れとか花とか持っていくとみんなも嬉しい。いろんなことで自分が努力するようにしないと。高円寺はもう少しがんばらないとね。

 

<高円寺にズッポリですよ>


高円寺に最初に来たときは、港区の浜松町に住んでたからビックリしました。かなり違う街だな~って。(笑)
でもしばらくしたら、街のお店同士も結束しているし、ヤンチャなお客さんたちも一生懸命がんばってバンドやったりお笑いやったりしているんだなぁ~ってわかってきました。
自分はそんなことできないからお客さんのこと憧れてる。羨ましいと思いましたよ。がんばって続けていくのはそんな簡単なことじゃないからね。みんな真剣にやってるから感動しますよ。夢があって希望があって、仲間で飲んで計画とか語って。でも曲を1曲作るのだって簡単なことじゃない。夜中にお店に来て歌詞を書いていたり、絵を描いてたり、真剣ですよ。

そしてみんなオシャレです。みんなそれぞれに個性的ですよ。このままでそのままで自分のセンスで行くじゃない。ファッションでもメイクでもヘアスタイルでも。笑っちゃうようなセンスでもいいの、自分が好きなら。だからお金無くっても、アルバイトでがんばれる。

パル商店街のお店の人たちとも家族づき合いするぐらい信頼されてきて、もう高円寺にズッポリとハマってますよ。(笑)

高円寺はいい男いい女が多いの。あとファッションが違うの。東京駅行くとみんなスーツでそれはわかるけど、高円寺は違う。簡単で軽い感じでもなにか素敵、なにか可愛いとか、ホントにハマってる。(笑)

そして、高円寺は若い。でも、本物ですよ。

もう少しみんな静かだと、もっと嬉しいけど。(笑)

 

<高円寺への想い>


みんなお金持ってない。でもお店行きたい、葉ママに会いたい。いいよ、いらっしゃい。一杯飲みたい、今日はいいよ飲んで。そしてまたがんばって欲しい。

わたしも今、大変ですよ。でもみんなも大変。500円使うのも大変よ。でも会いに来てくれるの嬉しいよ。ボランティアっていうのとも違うけど、嬉しいからいいの。こんな時代だからこそ、わたしのできる限りの力を出したい。恩返しもしたい。

世の中、お金も必要。バンドのみんなはがんばってもCD売れてない。でも大丈夫、ライブは演ってる。お金無い、時間無い、健康でない、なかなか続けられないですよ。でもコロナの中、意志固くやっている、だからバンドやってるみんなを尊敬してる。乗り越える、強い、最強! バンドマンのセンスも違うよ。

あるバンドのメンバーの話。7年ぐらいの付き合いで久しぶりに会いに来てくれて、一生懸命わたしに気を使ってくれてボトル入れてくれる。一升瓶、入れて飲んで、隅っこで潰れてるの、ふたり。(笑)
他のメンバーがどこからか台車2台を持ってきて、潰れた彼らを台車で運び出すの。(大笑)
もうおかしくて動画撮りたかったぐらい。これは高円寺の「技」だよ。他の街ではなかなか無いよ。

高円寺、独特の才能。考え方、一般的と違うのね。

わたしは自分のお店を持つというのが夢だったわけではないです。生活ができれば誠心誠意、勤められます。高円寺だから、みんなに会えるからお店やってるんです。商店街の人たちも、そう。いつも贔屓にしてくれてる。

お金よりも人情、気持ちですよ。

 

<実はミーハー?>


自分は音楽ができないから、みんなに憧れています。「テレサ・テン」とか大好きなんです。

わたしのおじいさんは台湾で有名な歌手でした。「葉 啓田(イエ・ジャンシウ)」と言います。

※高名な政治家でもあったようです

もう引退してますけど、自分が小さいころは、おじいさんは舞台に立っていて憧れの存在でした。調べてみて、いい男ですよ。

わたしもまだ若かったら歌手をやってみたかったよ。いい先生だったら、三木先生だったらアピールしたかったよ。今はもう無理よ~ 。もう一度生まれられたらねぇ!

台湾は有名な人たくさんいます。「テレサ・テン」「ジュディ・オング」「一青窈」そして「渡辺直美」。吉本興業で一番気になってるのが、渡辺直美さん。「ビビアン・スー」もカワイイ。

でも、もうその夢はありません。毎日みんなと会えて、自分の生活、仕事と、お母さんの介護費用と、このお店の維持が、今の大切なことでそれだけで幸せです。バンドマンたちや吉本興業とかの芸人さんたち、高円寺のみんなに支えてもらって感謝してます。

 

<高円寺 THE WORLD>


「永發」はメニューが多いでしょ~。昔からアジアの料理をやってました。韓国料理、タイ料理、なんでもできます。

高円寺は店がいっぱいあるでしょ、中華料理だけの店は飽きられちゃいます。高円寺だからこそ、どんな国の料理のいろんな店を受け入れる。インド料理、タイ料理、パキスタン料理、ぜんぜん関係無い、みんな仲良し。

他では外国人差別もあるかもしれないけど、高円寺は違う。音楽があるから垣根も差別も無い。だからいろんな国のメニューもあればアピールできる。高円寺のライブハウスはすごいよ。高円寺はホントに侮れないよ。ライブハウスに行けば英語も話さなくちゃいけない、韓国語も覚えなくちゃいけない、フランス人もドイツ人も来る。フランス人はイケメンね。(笑)
ホントに大変だからライブハウスに勤めてる人はすばらしいよ。

 

<葉ママの矜持>

お店のことはお客さんがいろいろ手伝ってくれます。ラジオで流してくれたり、わたしはなにもわからないけど全部みんながやってくれます。

わたしの仕事は来てくれたお客さんを満足させること。IT大臣じゃないからね。(笑)

だから「今やってます、来てください。」「席が空いてます、来てください。」って、わたしはそういうのは一切やってません。わたしのプライドもあるけど、お客さんには来たいときに来て欲しいの。あまりしつこいのは嫌なの。若い人もしつこいのは嫌いでしょ。細く長くの気持ち。お客さんが少なくても明日もあるから、今日来たお客さんを大事にして満足して帰ってもらって、また次にも来て欲しい。

お店は進化が必要。いつも60点ならそれでいいって自己満足じゃなくて、少しづつでも進歩して良くしていかないと自分もお客さんも納得しない。そうやってお客さんに認められる。そのためには、がんばることが必要、勉強も必要、努力が必要。

それがわたしの意識であり、家の教育です。

 

<日々是、勉強です>

外に行かないとわからない。ずっと自分の店だけじゃわからない。

他所のお店に行ってお金使って飲んで食べてみて、それも勉強のひとつ。これも大事なこと。港区や新宿区の高級な名店にも行きました。でも今は高級な名店でもコロナで閉まっている。3日前に中華街に行きました。「聘珍楼」以前は予約しないとは入れなかった。でも今は閉まってます。

今は名店だからって店を開けて売れるわけじゃない。だから個人店の名店に行かなきゃならない。だからあっちこっちに行く。時間があると外行く、食べる、勉強のひとつ。この店どうやって経営してる?いいところを吸収します。それ大事、そう。

この店なんで流行ってる?この店なんで流行ってない?自分で行かなければいけない。行ってみたら自分で「この店、だから・・・そういうことしちゃいけない」「この店、どうやって繁盛してる、なるほどそういうところ」それも外でお金使うから勉強になるんです。

現場の勉強が大事なんです。行ったお店で相手と会話ができるから。会話していろんな情報を知ってる人がいるお店は楽しいです。話題が豊富な店は喜ばれます。

先日のテレビ番組の撮影のときにも、事前に吉本興業の人が代わる代わる来たんだけど、それってテストされちゃったのよ。

「ママ、ママ、『かまいたち』って知ってる?」

「あ~ 知ってますよ!山内さんと濱家さんでしょ」

それでまずは向こうも安心してくれる。向こうから質問されて、何も答えられないようじゃダメ。

「なるほど、漫才は嫌いじゃないし、うちの若いみんながよく来るわけだな。」ってなるわけ。

やっぱり日本はサービス業がすばらしい。日本に来た目的のひとつはそれを勉強して帰りたいの。将来的には台湾に帰るかもしれませんから、日本で勉強して帰りたい。

人生の経験はお金では買えないですからね。

 

<趣味はお店とライブ>

以前は趣味はたくさんあったんだけど、お母さんが倒れてからそれどころじゃなくなって。前は囲碁教室に通ってました。あと、フラメンコレッスン。お母さんが倒れてからはどうしようもない。休みもあんまり無いよ。

でも、お金持ちだったからって命が助からないこともあるでしょ。今回はお母さんの命が助かったんだから、またがんばれるから。そこは頭を切り替えていかないと。

趣味よりもお店かな。あと、みんなのライブ観に行く、舞台観に行くのが趣味です。(笑)

高円寺の息子たち、娘たちががんばっているのを観に行くのが趣味です。

 

<これからの夢は>


儲かったら大勢のお客さんたちと台湾一周の旅行に行きたいの。

日本が作ってくれた新幹線にも乗って一周したいね~。

 

<葉ママにとって「愛」とは?>


わたしの愛・・・。

愛はやっぱり温かい気持ちと行動力です。

例えば、わたしの誕生日に花を持って来てくれる、クリスマスにわざわざ会いに来てくれる、高円寺の子どもたちはそんなところがある。

みんなと会う時間が今だからこそ、特に貴重で大切です。

 

 

 

2021.7.1 THU

高円寺「永發」にて

 

取材:木澤 聡

写真:小野千明

 

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