第六回:荒木 覚さん【タロー軒 社長】

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その店は高円寺のその場所に、42年前からある。

「タロー軒」

高円寺に住んでたり、関わりがある人は知っているんじゃないかな。

24時間営業のこの店は、42年間いつも高円寺を見てきて、
高円寺の人たちの腹を満たしてきたんだろうな。

店の看板である荒木社長の顔には皺が刻まれているが、
苦労してきたというよりは、楽しかった嬉しかったことで刻まれたものだろう。

笑顔が皺を刻んできたんだな、と思う。

オレも昔からよく世話になりましたよ。
古くはまだ20代中ごろだった独身時代、阿佐ヶ谷に住んでいた彼女を送り届けて、新宿のカプセルホテルにでも泊まろうかと歩いて向かう途中に寄ったなぁ~。

今よりもっと風情のある建物(ほぼ屋台に見えた・・・)だったけど、でもあのときは助かったんだよなぁ~。

そのときには、まさかその後取材させていただくことになるとは、夢にも思ってなかったけど。

取材させていただいて改めて思いました。 荒木社長の「タロー軒」人生は、まさに「高円寺人」たったんです。

 

<荒木社長とお店のスタートと>

 

名前は荒木 覚(さとる)です。

昭和23年(1948年)7月20日生まれ、72歳と2日(その日は7月22日でした)です。

もう72になっちゃったよぉ~。 元気でがんばっているよぉ~。

お店、ここは昭和53年(1978年)のね、確か6月ぐらいだったなぁ。高円寺で始めたのはこの場所でね。最初はちいちゃぁ~いお店だったの。で、今の造りにしたのが平成17年だから、もう15年前になるのかな、早いもんだよ。

高円寺に来る前は、最初は昭和48年に所沢で店を始めて、昭和51年に環七沿い中野の野方に店を出したのよ。

そのときにタクシーの運転手さんが「ここに(高円寺)にいい場所があるよ」って教えてくれて、そうかって言うんで高円寺でも始めて、野方とここと両方やってたのよ。

 

<「タロー軒」にも変遷があった>

 

当時は従業員が集まらなかったね。
ほら、いつもバラエティ番組で言ってるでしょう、いいものの3Kは「高学歴・高収入・高身長」。悪いものの3Kは「汚い・臭い・キツイ」だからね。

当時の就職雑誌はね、リクルート(正しくは「学生援護会」)の「日刊アルバイトニュース」だけで、あとは新聞の求人募集しか無いの。
で、5万円払ってね、1本も電話が無いのよ~、 悪い方の3Kだから。
「ガテン系」なんて言葉もできてね。景気もいい時代だったんだろうけど、まだバブル時代ではなかったね。

それでもう、三鷹の店と野方の店を高円寺の店一本にして従業員をまとめたわけ。そこそこ繁盛してたからね、もう高円寺1軒でいいよって。

そう、そのころは三鷹でも店をやっていて、青梅街道沿いにあったのよ。

野方に店を出したときに「松屋」の2号店があったの。
「松屋」のオヤジともよく話ししててね。努力してた~。 ご夫婦で本当に一生懸命に努力してた。でも2号店はすぐに閉めちゃったね。やっぱり駅前じゃないとダメだなぁ。

街道筋はでっかい駐車場を持たないと。でもラーメン屋は意外と儲かったのよ、駅近くなくても。仕入れなんかも「一緒にしようか~。」なんて言ってて、努力してたぁ~。 オレはもう終わったらすぐに遊びに行くけど、違ってたよね。
それの違いが今の差かなぁ~。(笑)

 

<社長の商売に対する考え>

 

今の店の場所はもともとさら地だったのよ、ずっと。

タクシーの運転手さんから「クルマを止めやすくて、いい場所があるよ~。」と聞いて、すぐに法務局に行って持ち主探して借りる契約して始めたのよ。

最初はちっちゃい屋台みたいな店だったけど、あれがまたいいのよぉ~。 当時はまだうるさくなかったから。中で喰うと夏は暑いし、冬は外が寒いし~。
でも、よかったんだよなぁ~ホントに。昭和だよ、昭和!

それがさぁ~ もう42年目だもん、今年でねぇ~ 42年できるとは思わなかった、当時は。まだあと5年はいけるからね、オレ元気だからね~!

息子の時代になるとね~ 息子も経営はやるからね、「マルR」ってのを取ってるのよ。「高円寺ラーメン タロー軒」って商標登録。店の横にかかってるでしょ。
だから、カップ麺もできるし、チェーン展開もできるし。まあ、そういう利益追求していくような商売になるんだろうね・・・。
今どんな時代になるか判らないよね。

世界の「ユニクロ」だって、別に特別なもの売ってないんだよ。服売ってるだけだよ。それをどういう風に売るかで。それだけなんだよ、How To!
なにも1円で売ってるわけじゃないんだから。みんなそうだよ、成功してるところは特別なことをしているわけじゃないんだから。
だからどういう売り方をするかなんだから。

 

<そして、幸せとは・・・>

 

でもやっぱりオレはね、その~今の時代はやっぱり人間対人間の心があるから、やっぱり心を通じる商売をしてればそれは絶対大丈夫だと、今はね!思ってやってるのよ。

だけどわかんないよ、10年後とかは。今はやっぱりね、お客さんに丁寧にね「ありがとうございました」って。

あの、昔のファミレスとかコンビニは本当に通り一遍のマニュアルぐらいのことしか言わなかったから。でも最近のコンビニの店員さんとかファミレスのウエイトレスさんは心のこもった挨拶をするようになったよ。うん、うん、How To!通り一遍のあれじゃなくって。

だからやっぱりいつの時代でもね、人間であり人である以上ね、きっと違うんだよ。
「あっ、またあそこに行こう」「あのオヤジの顔を見に行こう」ってね。

でもね、事業に成功しているからって幸せとは限らないよ。「サザエさん」の家族や「ちびまる子ちゃん」の家族がチャブ台で、ねぇ。花輪くんはものすごい金持ちでさぁ。でも、お父さんお母さん海外で。
どっちが幸せか。やっぱり、まるちゃんの方が幸せだ。ぜったいそうだ。

でもさ、みんないい大学に入って、いい会社に就職して・・・。
ラーメン屋には入って来ないやぁ~。(笑)

 

<ラーメン屋を始めるキッカケ>

 

オレはラーメン屋やる前はレストランでコックをしてたんだよ。
昭和45年ぐらいかな。所沢のファミリーレストランね。

当時まだ「すかいらーく」が無かったころ。
もうこれからはオレらの時代じゃないなぁ。どんな旨いもの作ったって客が来ないからなぁ。ニューファミリーって言ってなぁ、駐車場にクルマ持ってなぁ、そういう時代だったから、もうオレらは用無しだったから、そろそろなぁ、ラーメン屋やろうかぁ。ああ、いいなぁ、旨いスープ研究しよう!洋食の味を活かした飽きないラーメンを作ろうよ!ってね。

じゃあ、もう帰るよ。昨日、ライオンズが勝ったからね。「プロ野球ニュース」が12時15分から始まるから(まだ、時間は10時前でした)。

え、まだ話し聞きたい?帰りたいよ(笑)

 

<専門店だからラーメン屋はいい>

 

ラーメン屋を始めたのは、やっぱり専門店がいいと思ったから。
あれこれ出さなくっても済むでしょ。

とんかつ専門店だと、あのころ「和幸」さんがけっこうやってたからね。サッポロ味噌ラーメンなんかも流行りだしてたころだね。「どさん子」とかね。

「ラーメン、いいなぁ~」って。資本金が無いから、屋台からでも始められるから、ラーメンしか無いのよ。

それから、昭和が終わるぐらいから「環七ラーメンブーム」ってのがあったんだよ。
そんなものは思っても無いもん、ブームが来るなんて。

 

<高円寺は吉田拓郎>

 

高円寺はやっぱり商売が難しいって言うよね。新宿は近いし、吉祥寺もあるし、しんどいんだって聞いてますよね。
ウチも15年ぐらいかかったもん、円滑に回るようになるまでに。とりあえず、24時間ねぇ。

そんな高円寺で場所があるって言うんでやるんだけど、吉田拓郎が住んでるっていうのはよく知ってたんだよね。(笑)
オレ、吉田拓郎好きだからなぁ~ 高円寺いいよなぁ~って。(笑)

吉田拓郎、大好きなの。音楽は判らないけど、やっぱりいいよねぇ~ 。
オレの音楽は「演歌」だから。それと、ビートルズ世代だから。ビートルズとベンチャーズだからね。今でもね、ビートルズをかけるとね、孫が「あ~ いい曲だ!」って言うもんね。「イエスタデ~」なんてね。

 

<高円寺への想い>

 

店を出すにあたってのこだわりはなんにも無いよ。
高円寺だからってのもなんにも無い。ただ、お客さんが来てくれるように開けてラーメンを出すだけ。

高円寺では42年もやっているからさ、やっぱりほら、いろいろな商店の人と知り合ったり、阿波踊りの連の人と知り合ったりね。それもあって祭り見てたらね「こんちは~」って向こうから言われたりね。
今年は無いけど、仕方ないよね。

阿波踊りの間も店はやってるよ。まあ、忙しいよねぇ~ 。
でも、一年で一番儲かるとかそんなことじゃなくってね、高円寺の、年に一度のお祭りなんだからね。

高円寺で店やっていて嫌なことは、まったく無いよ。なんにも無いね。
大好きな街ですよ。自分の第二のふるさとだもんねぇ~。

 

<クルマの話>

 

店には光が丘の家からはクルマで通っているよ。
大きなクルマだったけど、だんだんだんだん小さくなっていくよ。(笑)

お客さんの手前ねぇ、いいクルマになんか乗ってきちゃあねぇ。そりゃあ隠れた場所で乗るぶんにはいいけど。そういうもんだと思うんだよ、オレ。
若いころは「セルシオ」に乗ってねぇ、パァ~と来たもんだ。恥ずかしいけど、今はあのちっちゃいクルマでねぇ。でもゴルフ行くときは「プリウス」よぉ!(大笑)
新型の。ゴルフ行くときはもう、真っ白なチノパン履いて、心は石川遼だもん。

 

<常連さんが多い>

 

店がもう42年目でしょう。お客さんも40年間来てくれてる人もいるよ。

タクシーの運転手さんとか、トラックのドライバーさんとか、営業まわりの人とか。

24時間営業だから、重宝されてるよね。もう、30年以上来てくれてる人なんてザラだよ。高円寺の駅からは800mあるんだけど、駅はクルマを停められないからタクシーなんか無理だからね。

高円寺の人は近所の人もだけど、自転車に乗ってみんな来てくれるよ。

 

<24時間営業>

 

24時間営業やってて大変だって言われるけど、そう思ったことは一度も無い。苦労もなんにも無い。

みんなで交代でやってるからオレも8時間以上やらないし、週40時間以上はやらないから、全員。それは最初から、昭和53年からそうよ。

 

<「タロー軒」の味の秘密>

 

ウチのラーメンの味は「いつ喰っても飽きない」、インパクトが無いところがセールスポイント。
「特別に旨いわけじゃないんだけど喰いたいんだよなぁ~。」って味。

特別なのはすぐ飽きちゃう。いつ喰っても飽きない。毎日喰っても、42年喰っても飽きない。オレ、毎日喰ってるけど太らないしさぁ。

 

<カレーライス>

 

カレーライスも開店当初からやってるよ。

ラーメンスープを使って、チャーシューの両側端っこ使って。毎日、チャーシューはバラ肉30kgは使うから。相当出るのよ、チャーシューの両端が。全部カレーに入れて煮込んでねぇ。だから旨くなるんだよ。
アソコのカレー屋よりも旨いよ、悪いけど。 そろそろ帰って、「プロ野球ニュース」。(笑)

 

<社長のプライベート>

 

休みの日はゴルフとライオンズ観戦。握手会にも行くし。

秋山がシンシナティに行っちゃったからなぁ~。
この前、デーブ大久保さんが来たからさぁ~、 秋山がいないからさぁ~、 西武行って鍛えてやってよ~ って。

ラーメン屋以外でやってみたいことは「歌手」だね。歌手よぉ~!「あなたの~ためぇに~うまれてきたぁの~♪」ってコックしながら歌ってたのよ。
レコードは出してないよ。

あのころね、矢吹健、黒木憲、そして五木ひろしが三谷謙って名前だったのよ。それで、「荒木けん」(オレ)は埼玉県だったよ。(笑)

当時は三谷謙(五木ひろし)だけ売れなかったのよ。
矢吹健は「あなたのブルース」、黒木憲は「霧にむせぶ夜」でね。

「富士そば」の社長の丹道夫さんは、オレが月に一回一緒にゴルフに行ってるキングレコードの作曲家の坂本数馬さんが作曲した曲の作詞をしてレコード出したんだよね。紳士だよ~。

 

<「タロー軒」は不滅です>

 

今後ね、オレが現場から離れることになったら息子が経営して、現場はウチに15年来ている若いやつが主力になってやるのでね。彼は身内でもあるし。
「タロー軒」は続くよ。永遠に不滅ですよ。

そうなったら、オレは「ゴルフ」。(笑)
やればやるほど奥が深いのよ~ 。こんなの初めてだねぇ~ 。
もう所沢のころから40年ぐらいやってるけどね。ゴルフと巡り合わなかったら、2号店3号店出せたかも知れないねぇ~。
店よりゴルフがやりたくって。

でも、オレにとってこの店は「命」だよ。本当に命。命なんだよ。

 

<社長にとって「愛」とはなんですか?>

 

愛! む ず か し い ねぇ~。

質問は簡単だけど・・・。

(沈黙があって)

いろいろあるだろうけど、やっぱり相手を思うことだろうね。

相手の気持ちになることだろうね。

だから、女房がものすごく気が利いてる女でねぇ。
例えば10人ぐらいでカラオケに行くじゃない。食事頼もうかってなって10人もいると「あっオレはハンバーグ定食!」って言ってトイレに行っちゃうって言うの。
そうするとね「あなたね、みんなに『何がいい、何がいいの』って聞いてから『オレはハンバーグ定食だ』って言って、トイレに行くのが人の道だよ」って。

「あなたは身勝手な人だね。そんなんで人が使えるの?」って言われてね。「あっお前、いいこと言うわぁ~」ってそう思って。

そうやってね、心遣い、気遣いができることが、やっぱり愛情だよ。家族でもそうなんだよね。思い遣りだよ。お前本当にいいこと言うよ。すぐ忘れちゃうけどね。(笑)
いい女と結婚したなぁ~と思うもん。

愛はね、女房に愛されること。

「あんた、好きよ!」って言ってもらうことがね、オレにとって一番嬉しいの。いや、ホントに!

 

(荒木社長、「プロ野球ニュース」観てゴルフの練習場に行く前のお忙しい時間に、長々とありがとうございました。 我々もとても楽しかったです。ごちそうさまでした。 )

 

 

2020.7.22 WED
高円寺「タロー軒」にて

 

取材:木澤聡
写真:小野千明

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