【隻眼の高円寺】瀬野敏

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記憶の彼方の高円寺』

 


かつては中央線沿線に住んでいた。阿佐ヶ谷と荻窪、そして国立。

何故か高円寺は避けていた。理由はよく分からないけれどそこは少し新宿の匂いがしたからか、それとも少し特別な事をするところと勝手に決めていたのか、今となってはもうよく分からない。

で、かつて高円寺に「ムービン」と言う喫茶店があって、そこへ一度だけ行ったことがあった。ミュージシャンに会えるかも知れないと言う噂だけは知っていて、そんなミーハーな気分があって行ったのだ。
しかし僕が会ったのはミュージシャンではなくて、長い髪の大きな瞳の、その場所にそぐわない可憐な少女だった。
あまりに清楚で美しかった。注文を取りに来た時に一瞬目が合っただけで、交わした言葉も、

「コーヒーをお願いします。」
「わかりました」

と彼女は返事だけした。ただそれだけだった。

その日からしばらくして驚いたことに彼女が僕の知り合いと結婚すると言う噂を耳にした。その知り合いの男がよく「ムービン」へ行っていて、ミュージシャンと何度も会って話をしたとか言っていたのも知っていたから、仕方なく諦めた。

 

それから少し月日が経って、彼らがインドへ旅立ったらしいと誰かから聞いて、余計に取り残された気分になった。

彼女がその男に連れられてインドへ行く理由は知るよしもなかったが、多分新婚旅行の代わりなんだろうと勝手に想像もした。70年代の前半インドへ行くのはビートルズの影響が大きいと邪推もした。ありとあらゆる誘惑のあるゴアへまず行ったらしい。あの可憐な少女が草を吸ってハイになっている姿を想像しただけで、頭がクラクラした。
彼女が草を巻いてくれて少しまどろんだセクシーな目で僕を誘っている夢も見た。あの小さな胸の裸も想像した。
白人の男達に好かれるのも明らかだと思って、一緒に行った僕の知り合いよりそっちに嫉妬した。

そして数年が経ち、僕も東京で若くして結婚した。国立へ引っ越して、高円寺とは更に遠くなった。ロックよりもジャズを聴くようになって、国立にあった手作りで作ったようなジャズ喫茶「喇叭」に通い詰めた。「ムービン」は記憶の奥のほうへしまい込んでいた。

しかし風の噂で彼らがインドで別れてしまって、その男だけが東京へ戻ってきたと言うのを知った。
彼女がイギリス人の男と恋に走り、ネパールへ行ってしまい、彼もそれを追ってカトマンズまで行ったけれど、彼女は戻らなかった。

男はあまりの精神的打撃で精神を病んだ。そして思い出の高円寺に住んでいるという。精神科医に定期的に通っているらしいが一向に良くなっていないらしい。

一度だけ高円寺のジャズ喫茶「サンジェルマン」でばったりと会ったが、ひどく落ち込んでいて話すこともまるで一貫性が無く、病状が手に取るように判った。そのうち部屋から殆ど出なくなりさらに孤独な生活をしているらしかった。

彼女のほうはポカラでイギリス人と結婚して子供も二人出来て、現地の織物と染色を勉強して作品作りに励んでいるらしかった。

 

 

それからさらに時間がたったある日、僕は毎日新聞の飛行機事故の記事を見て震えた。東京発のロイヤルカトマンズ航空の旅客機がヒマラヤ山脈に墜落とあった、激しい胸騒ぎがして必死で乗客に日本人がいないかを確かめようとした。
予感が悪い方に当たり、単なる乗客としてではなく、イギリス人と日本人の夫婦とその子供達が死亡者リストに挙っていた。

なんと言う痛ましい悲劇か、多分彼女達は三鷹の彼女の実家に里帰りしていたのだろうと直ぐに察しがついた。
迷った挙句、僕は高円寺の孤独な男にその旨を知らせようと、アパートへ行った。男は風邪をひいていて寝ていたが、新聞もテレビもその部屋にはなく、まったくその事故のことも知る由もなかった。拍子抜けした僕はもう事故のことを伝える力が心のなかから滑り落ちて、結局何も伝えずその場に少し立っていた。

男の寝ている後ろの床の間に安いオーディオ装置があり、その横に膨大な量のカセットテープが横一杯に積まれていたが、それがまるでカセットで出来たヒマラヤ山脈に見えて愕然となった。男が追憶の中で無意識のうちに積んだ思い出の音がヒマラヤになったのだと思った。

 

写真と文:瀬野敏

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