第五回:中田一郎さん【元「ターンテーブル」マスター】

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人は歳を取る。

その人が生きてきた軌跡や証は、それなりに歳を取ってからこそ明確に見えてくるんじゃないのかな。

現役時代の評価や名声なんてものは、夢幻のようなものでしかないのかもしれない。

そして歳を取ってきただけ、たくさんの人たちと知り合い、いろんな人から慕われる人がいる。

高円寺にもそんな人がいるんです。

なにかをしてきたとか、すごいことやったとか、そんなのとは関係無く、みんなが知っていて、みんなから慕われている人が。

それが今回お話を聞いた中田一郎さん。

中田一郎さんは、イチローではないし、元ARBの田中一郎でもないし、鳥羽一郎でも水木一郎でもない。

でも、中田一郎さんは高円寺の有名人なんです。

自分にとっても一郎さんはいい兄貴って感じ。

よくみんなのことを見ていてくれて、よく判っていてくれて、いいアドバイスをしてくれる。

村社会の高円寺で、その街のいろんな「コト」や「モノ」や「ヒト」を支えてきた人。

漠然としていて申し訳ないが、そう思える「高円寺人」な存在なのが、一郎さん。

 

<中田一郎さんヒストリー>

 

名前は中田一郎です。

昭和32年10月30日生まれです(取材日現在62歳)。

実家は神田なんですけど、18歳の大学のころから高円寺とか、遠くは三鷹までの中央線沿線にいます。

実家が神田の文具屋で、JR神田駅東口出てすぐの中央通り沿いのところ。そうそう、以前「吉野家」があった辺りね。

中田家はウチが神田でしょ、あと不忍池の方と根津の方と、あと稲荷町って上野から一コ目のとこと二コ目の田原町のとこと、ウチのお母さん兄弟8人いたんだけど、みんなあの辺りで分かれて。

昔はこんな話し好きじゃなくってしてこなかったんだけど、うちのおかあさんのおとうさん(おじいさん)がプラチナ万年筆を作った人(創業者)で、その関係で本社も工場も稲荷町にあったんで、その周辺に親戚がみんないて。

うちのおかあさんは大正12年生まれで18歳で親が決めた人と結婚して、お相手は結婚半年後に満州に行って戦死しちゃうっていう、絵に描いたようなことで18歳で未亡人になって、一緒の店で働いていた一番のお調子者がオレのおとうさんで、逆玉に乗ったっていうかねぇ~。(笑)

でも両親は、オレが生まれたころにはほとんど別れちゃってて。だからオレは父親方の名字じゃなくて母親方の名字の「中田」なんですよね。

おじいさんはプラチナ万年筆の創業者(中田俊一氏)だったんで、これはオレにはあまり関係ないんだけど、お爺さんがすごい金持ちだったんでおかあさんも潤ってたし、孫のオレまで潤っちゃって、おじいさんには頭が上がらないよね。

 

<高円寺との出会い>

 

高円寺に来て大学卒業してからは、武者修行じゃないけど文具関係のメーカーに就職した時期もあって、あまりにも実家の商売が忙しいんで戻ってきてね。

1979年に大学を出たんだけど、そのあたりからどんどんバブルの時代に入ってくるわけですよ。神田駅周辺はサラリーマンの街だったんで文具が売れて忙しかったんだね。

住むようになるまではあまり高円寺のことはぜんぜん知らなくって、高校のときに友だちが「神田バーガー」ってハンバーガー屋をやってて、そこで働いてた「たまちゃん」っていうのが高円寺すごく詳しくて、高円寺にも住んでて。

そんとき高円寺に「JINJIN(ジンジン)」っていうのと「KEYBOARD(キーボード)」っていうのと「壹時館(いちじかん)」っていう、チェーン店じゃないんだけど社長が一緒でその3軒があったんですよ。

 

<高円寺のロックバー>

 

「JINJIN」は高円寺北口ロータリーから入ったあたりに「二楽亭」って焼肉屋あたりのビルの2階にあって、「KEYBOARD」はJRガード下を阿佐ヶ谷方面に行って左側に入ったあたりにあって。
まあ「ロックバー」なんだけど、昔は「ロック喫茶」って言ってて、お昼ぐらいから始まるんですよ。それで夜の12時ぐらいまで。昼間は喫茶店みたいな感じで、お酒も出しますけど。
で、その3軒を知り合いの先輩(たまちゃん?)に教わって。

それまではレコードを聴く機会っていうのは、買わなくっちゃいけなかったんで。それか友だちが持ってるか、友だちと「お前これ買ったんならオレこっち買う」みたいな感じで貸し合ったり、ラジオのFM局のエアチェックをして聴いたりしてね。

そこいくとロックバーには、新しいレコードを飾って置いてある。
「今月の新譜」みたいのが5枚とか10枚とかあって、喫茶店代さえ出せば新しいのをいろいろ聴けるし、いろいろ教えてくれるし。働いてるお兄さんとか髪の毛長かったりとか、カッコ良く見えるんだよね~ お姐さんとかもそうだし。
そういうのを憧れるわけじゃないけど、そういうところで爆音で音楽聴いてると大人になった気がしてね。

そうこうしているうちに、よく通ってたりして、高円寺のそのロックバーに。で、独り住まいするって言うんで高円寺を選んだっていうのは、まあロックバーですね、最初は。
「ロック喫茶」だけじゃなくて「ジャズ喫茶」も何軒かあったし、ブルースの店もあったねぇ。たいして儲かってなかったと思うけどね。

あと、スタジオもあったしライブハウスもあるから。サラリーマンの街の神田とは違って、音楽やってる連中が集まる環境で、ビックリしましたね。

 

<なに不自由無く育ってきました>

 

幼稚園のころからピアノを8年間習っていて、高校のときは学園祭とかをキーボードをちょこちょこ演ったりして、大学のときからはドラムを演ってたね。

子どものころは習い事をたくさんやっていて、ピアノだけじゃなく、そろばんやって、習字やって、少年合唱団やって、塾も行ってて、自分で言うのもなんだけどお坊ちゃまだったんだね。

そうとう金使ったと思うんだけど、なんでこんなバカになっちゃったんだって、うちのおかあさんは嘆いていたけどね~ 。残念な結果になっちゃいました。(笑)
ホントに好きなようにさせていただいて感謝しております。

うちのおかあさんはお嬢さんだったから、買い物に行くっていったら、日本橋の三越だ~高島屋だ~大丸行って。

お手伝いさんもいるもんだから食事を作らない。でもね、料理の免状は持っているって言って、「月餅」でもなんでも作れるって言うんだけど、一度も作ったところは見たことない。(笑)
こりゃもうビックリだよ。なめとんのかって。(笑)

うちね、近くに中華料理屋、日本蕎麦屋、鰻屋、寿司屋、何軒かあって、うちの名前出すとタダなんですよ。一ヶ月締めだから、全部ツケ。
だからいまだに外食が好きでね、使いすぎちゃったよ。

 

<「ターンテーブル」オープン>

 

高円寺で店を始めたのは、「時代屋」ってバーがあってよく行ってたんだけど、そこのバーテンダーがいなくなったんで、オレと同じ学年のマスターが「一郎さん、やってくれないか」って言うんで。

実家の文具屋の手伝いと二足のわらじできつかったんだけどね。それでしばらくしたら「ZZ TOP」ってバーの、やっぱり同じ歳のマスターが「やってくれないか」ってことで、「時代屋」を辞めさせてもらってそっちで働いて。
文具屋もあるからいつもはできないよって言って、週に何回かやってたんで、ある程度飲み屋の下地はできてたんですよね。

40歳のときにある程度まとまった金があったので、そのときの奥さんに「これが無くなるまで店をやってもいいか?」って聞いたら「やってもいい」って話になったんで自分の店「ターンテーブル」をやらせていただいて。

それが40歳から50歳の10年間ですよね。 そうこうしているうちにまたその奥さんとも別れて。独りでやっている分には楽しいし、楽だし、貯金も毎月できたし、よかったんだけど、そこでまた3回目の結婚が来て。

そうこうしてると養育費とかもあって金が続かなくなって、どうしたものかなっと思いながらやってたら、店の家賃の更新のときに大家と揉めて。
そうこうしているうちに「じゃあ、閉めるか!」って。

まあ、50歳でちょうどいいかなって。独り身だったら、まだやってたかもしれないですよね。

 

<「ターンテーブル」を閉めてから>

 

その後も、高円寺や神田の友人の店を手伝ったりしてたんだけど、一番上の娘が三軒茶屋の郵便局の電話応対の仕事をやっていて、「杉並郵便局が人がいなくて困っているらしいよ、パパ行ったら」って言うから行ったら、すぐ採用になって、久々に給料を貰うのもいいかな~と思ってね。(笑)

つい最近、惜しまれながらも退社したけど、それまで12年間お世話になって、超優秀だよ。(笑)

郵便局では区役所とか大口の会社とかを担当していて、そのおかげで土日休むことができたんです。
それで土日は大正生まれのうちのおかあさんの介護に行って。平日は姉が看てくれたりして上手くいってたんだけど、姉の旦那さんが倒れてしまって、平日もうちのおかあさんの介護どころじゃなくなっちゃったんでね。

郵便局もあと3年は働ける猶予があったんだけど、親には今まで好きなことさせてもらったんだからって。三越と高島屋のおもちゃ売り場のおもちゃはね、ほとんど全部買ってもらったよ。(大笑)

お世話になったんだから、これからは面倒を看ようって女房に言ったら「辞めてもいい」って。
千代田区(神田のある)は人があまり住んでないんで、施設とかが充実してないんだよね。ちょくちょく神田に行っては面倒を看てますよ。

 

<一郎さんは「撮り鉄」だった>

 

(カメラマンに向かって)オレもカメラはけっこう凝ったんだよ。汽車ポッポ(蒸気機関車)撮るのが好きだったから。

八王子から高崎まで「八高線」っていうのがあって、汽車ポッポが走っていた。あと、「高島線」って言って鶴見から出てる貨物だけのやつとか、東京でも汽車ポッポが走っているところがあって。それからだんだん遠いところにも行きだして、「只見線」って言うのとか、小諸の方(「小海線」)とか、「水戸線」とか。いろんなところに行きましたよ、ユースホステルとか入って。「撮り鉄」ってやつかな。もうすごい大好きで大好きで。

でも、オレの熱はね・・、機関車ががどんどん無くなっていくんですよ。都電なんかはオレが小学校6年のときかな。
汽車ポッポがなくなると同時にカメラに対してのの熱が無くなっていくんだよね。オレは人を撮るんじゃなくて汽車ポッポを、SL撮るのが好きだった。
いまだにどこかで汽車ポッポが走るとか、どこかの倉庫に汽車ポッポがあるっていったら、撮りに行きたいぐらい。
当時は憑り付かれているみたいだった。男の子だったらあるじゃん、なにかに熱中しちゃうって。今とかもみんな電車走っていると撮りに行ったりしてるけど、オレは汽車ポッポだけ魅力感じるんだよね。

切手も集めてたよ!みんな1枚ずつ集めてたけど、ブルジョアだからシートでボンボ~ンと。(大笑)

 

<お金持ちの主張>

 

おかげでそんなこともできたんだから、親の面倒も看ないとさぁ~。(笑)

うちのおかあさんは大正12年生まれの96歳亥年(取材日現在)。関東大震災があった年かな。さすがにアレだけど、やっぱりねぇ、金持ってると元気だよ!(大笑)

うちのおかあさんよく言ってるもん「一郎には財産あげたくない!」って。「おお~いいこと言うね!」って。(大笑)
なんかね財産欲しいなんて言うやつにはあげたくないんだって。その気持ちは判るね。
エッ、うちの財力話が面白い?そりゃあ良かった。(大笑)

でもね、お金持ってる人って違うもんで、お昼とか食べに行くじゃない、うちのおかあさんは必ずその日のランチを頼む。お得なコースとか。
金持っている人ってそうゆうもんだと思う、変な無駄なお金は使わない。昼も夜でもその日一番安いお得なランチやコースを頼む。

「金無いヤツに限ってカッコつける」ってうちのおかあさんよく言ってる。タクシーに乗ってお釣り要らないとか、うちのおかあさん言わないもん。(笑)
オレみたいな貧乏人は「お釣り要らない」って言うんだよ。でもこれね、ホントだと思うよ。

でも、うちのおかあさん面白いのはさ、寿司屋とか行って「一郎ちゃん、好きなもの食べていいから~」って言うから、じゃあって選んでるとさ、「じゃあこの子には握りの並で。わたしはお好みで~」って。
このババアふざけんな!って感じだよね。(大笑)

 

<「ターンテーブル」をやっていたときの話>

 

「時代屋」「ZZ TOP」など、高円寺のいろんな店を手伝ってきて、いよいよ自分の店「ターンテーブル」をオープンしたんです。

うちの店のスタイルは1曲ずつかけて聴かせること。LPレコードは7,000枚ぐらいあったから高円寺で一番あったんじゃないかな~。 シングル盤も7,000枚ぐらいありましたね。もう、どんどん買ってたし、聴き切れないような感じで。
カウンターの中からなにから全部レコード。

ジャンルもロック全般だったんだけど、ソウル、ブルース、ジャズ。もちろん、クラッシックも置いてたし、バロック、オレ、バロック好きだから。
一番好きなのがプログレッシブロックだから、その流れでバロックも好きだった。

来るお客の名前は憶えてないけど、なにが好きかっていうのを憶えているから、その人が「やめろ!」って言うまでかけまくる。1回リクエストしたら憶えてるんで、この人が来たらこれをかけるって。やっぱりそれがいいなぁ~っていうのがオレの考えで。

あと、お通しも作ってたんで、お通しは基本的に温かいもの。お通し作って、グラタンとか料理も作って。ターンテーブル2台置いて、CDデッキ2台置いて、それを完璧に操作してリクエストの曲を変えて。お通し出して、レコードかけて、料理作って、CDかけて。もう、しまいには疲れてきたらお惣菜買ってきて温めて出して。もう何やってんだか判らない。(笑)

店はL字カウンターで11~12席ぐらいと、4人がけテーブルと、タイヤを4つ重ねて、上にガラスを乗せて、そこが2人席。レコード置き場みたいなところにもイスを置いて、二人、二人、二人、二人、四人、二人って感じかな。

店は独りで全部やってた。
最初の1年目2年目は人を使ってたんだけど、慣れれば独りでもなんとか。って言うかね、性分でこう見えてもテキパキテキパキ、ガァ~っと動いているのが好きで、うちのおとうさんの影響かもしれないけど、チョコチョコチョコチョコしてるのが好きで。
だからずっと働いてたよ。終いにはアテンド(紙おむつ?)着けようかと思って。(笑)

 

<「トム・ウェイツ」から「松田聖子」まで>

 

店やるのが好きだったし、音楽が好きだったから。

オレのいいところって、どんな音楽も好きで。キライな音楽があんまり無くって。最初の1年2年は歌謡曲とかはあえてかけなかったんだけど、でも日曜日があまりにヒマなんで、日曜日だけ歌謡曲だけかける日にしたんですよ。そしたら日曜日忙しくなって、だったら何でもいいかって。

最初はね、考えてたんですよ、「トム・ウェイツ」かけてたら、やっぱねその流れでかけていくべきか、とか自分で考えながらやってたんだけど、もう途中でなんでもいいやってなって。
「ヴァン・ヘイレン」かけて「トム・ウェイツ」かけて「松田聖子」でもいいやって、もうなんかね、それも楽しいかなって思って。

客もね、あるっしょ、やっぱ。そんなさぁ~ 所詮ロックバーでさぁ~ かっこつけてさぁ~ いやあオレはね、シカゴ・ブルースが好きでさぁ~ マディ・ウォーターズが好きで~ なんてヤツに限ってさぁ~「キャンディーズの蘭ちゃんが好きです!」とかさ。(大笑)
そういう方が楽しいかなって。

お客さんはありがたいことに音楽好きの人や関係者が多くて、「JIROKICHI」のスタッフもよく来てくれたりとか。遅くまでやってたからステージが終わった南佳孝さんとか、いろんな有名な人を連れてきてくれたりとかね。いろんな人が来てくれました。ミュージシャンもそうだけど、音楽関係の仕事をやっている人が来てくれたかなぁ。 店が終わってからよく呑みに行ったりしてね。で、二日酔いでね、いつも。(笑)
「いこい食堂」とか「大公」とか、朝からやってる呑み屋が何軒かあってね。

 

<決断!そして店における義理と人情>

 

店は10年やって、家賃で揉めたりとかもあったから、それもだけど閉めちゃったのは、なんかせっかちなのか、パッと決めたらパッとすぐに後に引かない感じ。迷わない、すぐそうしちゃう。昔からそんな感じがする。後先考えない作戦。(笑)

お客さんからはいろいろ言われたような気がするけど・・・でも、なんかすごい残念がられたよ、大変だよもう。でもね、ホントにね、儲けるのは大変、店はね。すごく楽しいんだけどね。

でも、オレのやり方は間違ってなかったと思う、すごいがんばったし。
その人がアノ曲聴きたいって言って、「無い!」ってなったらもう「ディスクユニオン」全店回って即行でなんとかしてでも手に入れるっていうね。
言い方おかしいんだけど、狡いからカッコ悪いんだけど、その人また来てくれるから高い買い物じゃないんですよ。

あと店と客にも義理と人情っていうのがあって、ライブやるって言ったら観に行く。劇団の人だって言ったら観に行く。そういう繋がりって言っちゃあおかしいけど。でも、それによっていろいろ拡がることもあるしね。まあ、つまんないライブもあるけど。(笑)

まあ、オチもツケとかないといけないからさぁ。(大笑)

 

<高円寺村の住人たち>

 

店同士の持ちつ持たれつもあるし、呑み屋って人間関係が大切だと思う。

不思議なもので、グループっていうのができるんですよ、やっぱ。
「ターンテーブル」をやっていたときは、オレが中でも歳いってたから音頭を取ってて、いつも忘年会とか新年会とか「みんな休み取れ!集まれ~!」みたいな感じで。みんな休み取るの大変なんだけど、「ターンテーブル」に4時集合とか5時集合とか言って、それから昼まで呑むの。(笑)

それがね、呑み屋のマスターたちって酔っ払うとクセ悪いんだ、オレも含めて。(大笑)
もう、溜まってっからさぁ「うわぁ~~~!!」って。(大笑)
出禁だよ~ もう全員出禁!みたいな。
新宿の「d.m.x(ディー・エム・エックス)」とか、いろんお店にご迷惑をおかけしました。もう店入った瞬間に「えっ!もうボトル無いの~」みたいな、呑み方ハンパじゃない。

そーゆう楽しいことたくさんあった。

高円寺は狭い街だから、みんなの繋がりがねぇ。みんな高円寺は村だって言ってたから。高円寺ラブってあるよね~。
恥ずかしいけどね。高円寺好きですよ。

高円寺に来たときは「変わった街だなぁ」と思って、それは今もそんなに変わってない気がするなぁ。

 

<ミュージシャンの一郎さん>

 

ミュージシャンとしての活動も長いんだけど、今はドラムやってるんだけど、ボーカルが楽しいかな。

オレ、ボーカルのキャッチフレーズがあって、それはね「歌えない曲は無い!そしてまた歌える曲も無い!」これがオレのキャッチフレーズ。
怖いもん無しってこと。なんでもやるんだよ、キャラが立ってるからねぇ、勝ちに入れる。ショートパンツ履いたり、セーラー服着たり、卑怯な手でやるから。

いつも自分の中で考えてて、裸同然みたいで出てきて、1曲ずつ服を着て、で、最後の曲でコート着て、バック持って、最後の曲が終わった瞬間に帰って行くっていう。(大笑)

いろいろねぇ、作戦というか卑怯な手を考えてるのよ。

最初、普通に髪の毛下ろして出てって、途中で髪の毛を立てるとか。ドライヤーでどうやって立てるかって、ディップ塗って、逆毛立てながら、次にスプレーでやって、ミストで固めるって。それを2曲で演るとかね。

ステージでオムレツを作って、油を熱々にして白ワインかけてフランベすると、火がブワァ~っと2メートルぐらい立っちゃってさ。ライブハウスから怒られちゃって。
「一郎さぁ~ん、困りますぅ」って。(大笑)
出来上がったオムレツは、PAのヤツに食べさせるとかさ。(大笑)

そういうことばっかり考えてるから、曲なんか憶えてられない。(笑)
客もねぇ、そっちの方が楽しいって。MCもね、だいたいね、仕込むこともあるけど、その場で。
そのうちね、みんな曲聴かなくなってね。そっちはもういいよ~って。

 

<木澤くんがとても演れないような無茶な曲をバンドで演ってしまう話からの>

そうそう、「イエス」の「ラウンドアバウト」だったよな。木澤、ダメだよ。(大笑)

「ターンテーブル」の10周年のときにライブをやって、5バンドに出て1曲だけボーカルで、あとは全部ドラムを叩いたんだけど、そのときに「ジェネシス」の「サパーズ・レディー」って1曲23分の曲があるだけど、最初に演って。間違えたらやり直しがきかないっていう組曲みたいな曲で、バックはみんなプロ級のメンバーだったんだけど、「ジェネシス」の「ジェ」の字も知らなかったベースのヤツが終わったあとに「大好きになりました」って。(笑)
それが一番嬉しかったよ。こんな難しい曲演ったことないって。

 

<携帯の画像をカメラマンの女性に見せながら>

 

これ誰だか判る?
そう、「白石麻衣」!エライねぇ~。

ぜんぜん知らなかったし興味も無かったんだけど、リーダーK氏が「乃木坂46」が大好きで、「一郎さん、一回行こう!」って言うんで2年ぐらい前かな、行ったのよ。そしたら残念なことに好きになっちゃって。(大笑)

楽しい!スッゲェ金かかってるし。カワイイとかカワイくないとか判んないけど。

オレの一番上の娘が36歳でしょ。二番目の娘が22歳か。一番下の子が小学校2年で。孫が4人いて、孫の一番上が小学校6年でね。なんかもう、ねじれ状態で孫の方が年上になっちゃったりして、もう大変だよ。

 

<おもむろに紙を広げた一郎さん>

 

木澤くんね、これあれだよ、オレの好きな歌謡曲ベスト100!
もう、今から10年ぐらい前に作ったやつ。
オレ、「松田聖子」好きなんだ。ああ、「SPEED」観に行ったよ。プログレ好きだから「四人囃子」とかも入ってる。(笑)

(カメラマンに)知ってる曲ある?

「SPEED」の「熱帯夜」は知ってるの?これいい曲だよね、泣けてくるんだよ、この曲。「もういい娘じゃいられなぁ~い」だよ。(笑)
アルバムに入ってる曲だから知られてないけどね。これね、うちの娘がいつも歌ってくれるんだよ。

「ターンテーブル」のお客さんだった人が、「SPEED」のバックバンドのマニピュレーターとキーボードやってたのよ。ターンテーブルバンドのキーボードもやってくれてたんだよね。

「SPEED」が「東京ドーム」でコンサート演るっていうんで、うちのまりえちゃんが高校生のときかな、招待してくれて。それがすごいいい席でね。
終わってから「東京ドームシティ」のホテルで打ち上げがあったんだけど、そっちにも招待してくれたの。

「SPEED」のメンバーももちろんなんだけど、事務所が一緒だからか「荻野目洋子」とかもいて、まりえちゃんが「パパ、荻野目ちゃんだよ~!」って。「DA PUNP」の「ISSA」とかもいてね、オレ知らないから。昔のお尻ぶつける「バンプ」なら知ってたけど。(笑)
そしたらね、その「ISSA」ってヤツがオレのところに来てね、どうもオレのことをミュージシャンかエライ人だと思ったみたいでさぁ「どぉ~も、きょうわぁ~」とかって挨拶してきて、「ISSA」が気をつかって「あのぉ~『ISSA』です、よろしくお願いいたします」なんて言ってきて。
そこでオレ「キミ、誰だっけ?」なんて言っちゃって、そしたら「ISSA」凹んじゃってさぁ~。(笑)
まりえちゃんに「ダメでしょ~!」って思いっきり怒られちゃってね。あのとき、仲良くしておけばよかったなって。(大笑)

 

<一郎さんの休日>

 

ほとんど休みはないんだけど、郵便局12年間のときは月~金で働いて、土曜日は「ロケット」に入って、終わってから「大公」とかで呑んで、日曜日はゆっくり寝たいなぁと思うんだけどお昼ぐらいに起こされて、どこかに食べに行くって言うんで食べに行って。
うちの女房はすごい酒が好きだから、また呑んで。二日酔いのときに限って、またビールが旨いんだよ、なんか喉が渇いてて。で、呑んで、頼むから早く寝かしてくれって言って寝る。

郵便局のときは、だいたい遅くても8時には寝てたかなぁ~ そんで2時半に目覚ましかけて、2時40分に起きて、3時半には郵便局着いて、着替えて一服して、4時には現場に入ってたよ。

こう見えても、大学卒業してからは一度もプー太郎なんかしたこと無いし、今回辞めたっていうのも、もうずーっと働いてたっからタマにはいいかなって思って。
今は介護もあるけど、こんな状況にビックリしてるよ。

オレ、掃除とか大好きなの。掃除、洗濯、料理、チョーそういうの大好きだから、あんまり休んでないね。魚がエラ呼吸止めると死んじゃうようにね。だからいつも動いて呼吸してる、が、オレの人生だね。(笑)

家族サービスもなんかのときに必要だから、「パパ、わたしたちで食事行くからお金ちょうだい!」って言われたから「じゃあ、2千円ね」って渡すと「ショベェ~なぁ~」とか言われちゃって。
「これでお願いしますぅ~」「しょうがねぇなぁ~!」とか言って。(笑)

今日の朝、女房と子どもが実家の岩手に行ったんだけど、昨日の夜は明日帰るからって言うんで、浅草のすき焼き屋で肉食わせて、ふたりとも大喜びで帰っていったよ。次はランチでお願いします!っと。(大笑)
でも、うちの女房はバカみたいに酒呑むから「ボトルでお願いします!」(大笑)

 

<一郎さん、この先どうしたいですか?>

 

うちの女房はね、「パパ、また店やればいいじゃん!」って言ってくれて。
まぁ折を見てと言うか、蓄えはちょっとあるんで店ぐらい出す金はあるんだけど~。 まだ娘が小学校2年だからねぇ~ ここがねぇ。

郵便局で「学資保険」とか、郵便局員しか入れないオレが死んだら4,000万円入るっていうのがあるのよ。毎月15,000円ぐらいなんだけど。うちの女房や娘は大喜びでさぁ~。
上の娘ふたりが「わたしたちの分は?」ってやってきたから、「4人それぞれ1,000万円で手を打ってくれよ~」って言ったら、「ちっ、しょうがないなぁ~」って言ってるから。(笑)

うちのおかあさんじゃないけど「オレも死ねねぇなぁ~」って思って。(大笑)
でもね、オレの方が長生きする気がするんだよ、女に刺されない限り。(含み笑)

 

<永遠のテーマ「一郎さんにとっての『女』って存在は」>

 

オレね、命題って言うんで、「一言書いてください」っていうのは、いつも書くことは「女について学ぶことが多い」これがオレのあれで、こう言うとみんなが「まだ学ぶんかい!」って。(大笑)

あとね、もうひとつ。「女はヤダ」って言うオレの命題があるの。そのココロは「いないとヤダ」。

あと、「女キライ」って言うのもある。「オレのことキライな女は全員キライ」って。(笑)

みんな笑うんだけど、マジで言ってるんだよ。そうだよねぇ!

オレもいい言葉たくさん作ってるんだけど、言うとキリが無い。

あとね、女だけじゃないけど、どういうふうに人間づきあいっていうのが大切かっていうのは、「目配り」「気配り」「心配り」。
これはね、クラブでナンバーワンのオネエチャンがそういうふうに言ってた。エライなぁ~って。オレはそこまでできないと思ったけど。
でも深いなぁとは思うよね。ちゃんと、気遣いだよね。 こうゆうの言い出すとキリが無いんだよ。(笑)
いくらでもあるんだよ(笑)

 

<一郎さんにとって「愛」とは? 一言でお願いします>

 

愛!(・・・・・・・・・・長い沈黙)

三つあるんですけど・・・。

愛しているとか好きとか、好きっていうのは判りやすいけど、愛っていうのはあまりにも抽象的過ぎてデカ過ぎるんで、あの~よく判らないんだけど、あの~ 身内、特に親とか子どもに対しての愛とかは信用できるんだけど、異性・・・・・まあ、女房も身内に入るんだろうけど。

でも普通に愛っていうのは・・・・・この~ そりゃ普遍的なもんなんだろうけど、あの~ あとの愛っていうのは・・・・・なんかみんな探してるんじゃないですかね、井上陽水の歌じゃないけど。
「探しモノはなんですか?見つけにくいモノですか?」
あれもたいていそういうことを言ってるような歌のような気がするんだけどね。

あと、そうね・・・・・酒呑むか・・・・・探す・・・・・ううう~ん。

まあ、最終的に「愛って何ですか?」って言われたときに普通に言うのは、「よく判らない」って言うのがオレのアレで、まあ、あの、好きと愛の違いを考えるんですよ、オレは。すごい、似ているようで似てないし、似てないようで似てるような気がするんですよ。

好きっていうのはすぐに言えるんですよ。音楽が好き、なんでも好き。もうものでもいいし、人が好きでもいいし。でも、愛っていうのはポッと言えない。

特に怖くて女には愛してる、とは言えない。(大笑)
これは、怖い!

だってさ、「愛してるよ」とかさぁ~ これはさぁ~ これはさぁ~ これは無理でしょ。って言うかさ、責任があると思う。愛してるって言ったら、これは責任を負う、ぐらいの深い言葉だから、親に対してとか身内は判りやすいじゃん。

男に対してもそうだけど、男の場合ね、あの友だちって言うよりも、親友っていうのがまたひとつランクが上かな、とか。
「こいつはオレの親友だよ」って言えるのはレベルが高い。

言葉っていうのはすごいなんかさぁ、怖いって言っちゃおかしいけど・・・すごい、愛しているって言える人ってエライと思う、反対に。
オレなんか、あのぉ~ 逃げてく。(笑)
言葉に対しての責任を負えないんだよ。そんなこと言ったら大変だよ、みんなに「愛してる」って言ったら。大変なことになっちゃう。(大笑)

それを駆使してやってきたって思われがちだけど、逆にこれだけ遊んでる人間は、やっぱそこらへんちゃんとしっかりしてると思うよ。(大笑)

(カメラマン女史叫ぶ!)イヤだぁ~!

イヤかもしれないけど、これは、あんじゃないやっぱさぁ、「あんた、言ったじゃないの!」って言われたときに、「そりゃ気持ちは変わるんだよ」とは言えないもん。
言ったことに責任を持つために、「愛」っていう言葉はあまり人には出せないけど、でも・・・・・と言って62年経って、いまだに愛がよく判ってないというか、使えてないっていう、言葉かなぁ。使えればいいねぇ。

別に交換に何か求めてるわけじゃないけどね。・・・・・深い、ねぇ~ 音楽愛っていうか、音楽好きがいいかなぁ~オレ的には。
ごめんなさい。

 

(一郎さん、長い時間ありがとうございました。「愛とは?」には、かなり言葉を選んで慎重だったのが、一郎さんらしくてよかったです。
一言でお願いしますって言ったのになぁ(笑))

 

 

<後日、改めて「愛」についてのお言葉をいただきました>

 

愛とは、FantasyとIlusuionに分かれる。
また、幻想もファンタジーとイリュージョンが有る。
イコール、愛とは幻想なのだ。

(結婚式の祝辞)
結婚とは判断力の欠如からするもので、
離婚とは忍耐力の欠如からするものだ。
そして再婚とは記憶力の欠如からするものだ。

 

<スペシャル ボーナスカット>

 

2019.12.26 WED
高円寺「Rocket」「SWAMP」にて

取材:木澤聡
写真:小野千明

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