人にとっての「楽しみ」とはなんだろう。
それは好奇心なのかもしれない。
では「輝く」とはどんなときだろう。
その好奇心を満たすために、その瞬間を活かしているときなのかもしれない。
できれば好きなことだけやる。嫌なことはできるだけやらない。
これってとてもシンプルなことだけど、どれだけの人がそれをできているのだろうか。
この高円寺って街でそれをやってみる。
とても素敵なことじゃないでしょうか。
高円寺だからできるってことじゃないけど、とても高円寺に似合うよね。
「そんな人がいるんだよ、木澤くん!」
友人が教えてくれたので、さっそく訪ねてみたんです。
「高円寺人の取材をお願いしたいんですけど~」って言って。
「いいですけど・・・」
松本 哉さんは、得体の知れない木澤という人間の得体の知れないウェブサイトの取材にも、とてもシンプルにそう応えてくれました。
松本さんは、高円寺で「素人の乱5号店」というリサイクルショップをやっている方です。
また、それだけでは飽き足らず(失礼します)、ゲストハウスや呑み屋さんもやっています。
そして、ちょっと前にはその世界ではけっこう名を馳せた方だそうです。
どんな方なのか、とても緊張しながら初めてお会いした松本さんは、
「すぅー」っとした、方でした。
<松本さんと高円寺とリサイクルショップと>
松本 哉(はじめ)です。
1974年生まれで、今年46歳になります。
高円寺は~、 住みはじめてから15年ぐらいです。
店もそのときに始めましたから同じですね。それまでも呑みに来たり遊びに来たりはしていましたが。
リサイクルショップは~ 、大学生のときっていろいろバイトするじゃないですか。大学卒業直前ぐらいにリサイクルショップでバイトをたまたましたんですよ。
そのときは普通にやってて、自分の仕事にするなんて思ってもなくて、ただ面白そうだからってやって。
大学卒業した後も就職活動しないでそのままやってて、それでそのうちに面白いなぁ~って思うようになって。それで、まあ、自分でやるようになりました、って感じですね。
高円寺とのきっかけは、最初は学生時代、法政大学で中央線で一本だったんで。割りと高円寺には学生とかがたくさん住んでいたから友だちも住んでて。
友だちがいるんでよく遊びに来ていて。そんなこともあって大学を卒業したあとも呑みには来てました。
そうして高円寺で遊んでるうちに、リサイクルショップのバイトしてた自分が自分の店をやるときどこにしようかと考えて。
中央線あたりとかいくつか探していたんですけど、高円寺の人たちが一番手伝ってくれて。
「店やるんだったら、いいところをどこか紹介してあげるよ~。」って感じで。それで成り行きといえば成り行きなんですけど、高円寺がやっぱり一番いい感じでしたからね。(笑)
あと、なんかやっぱり高円寺って変な人とか面白い人とかいっぱいいるじゃないですか~ 。
どうせなんかやるんだったら、なんか可能性のあるところがいいなぁ~って。中央線沿線の中でもそれはダントツでしたからね~。(笑)
<高円寺の印象>
15年前の店を始めたころの高円寺は、今よりももうちょっと路上がアナーキーでしたね、やっぱり。パンクの人たちがまだたくさんいたので、割りと路上でみんな呑んでたりとか、けっこうカオス感が面白かったです。
そして、ちょうど古着ブームとか来てたころです。
サブカルチャーの街って感じでしたね。とにかくオシャレ感は無かったですね、ぜんぜん。
高円寺に住んで店をやるようになる前までは、高円寺はそこまで好きじゃなかったと言うか、やっぱりなんかその、ちょっと他所の人からすると高円寺の人たちだけで盛り上がっているんじゃないか? みたいな。まあ、来たら来たで楽しいんですけど、なんかそういう印象があって。別にべったりハマるつもりもないなと思ったんですけど、やっぱり店開いて腰落ち着けてみると、ぜんぜん印象が変わると言うか、やっぱり高円寺面白い街だなって感じますよね。まんまとハマッた~って感じですよね。(笑)
<高円寺のリサイクルショップは面白い>
高円寺はどんな人でも生きていけるじゃないですか。それでけっこう堕落しちゃう人だったりとか、油断してせっかく面白いことができるのにダラッと何もやらない人とか有りがちで、そこは勿体ない気もするんですけど。
でも、だからこそいい街でもあったりするんです。なかなかそれが無くなればいいとも思わないですけどね。
まあ、死なない街なんでしょうね。(笑)
高円寺や中央線沿線の街はそうなんですけど、独り暮らししている人が多いんで、そういう人たちがいろんなものを買ったりするのでリサイクルショップはニーズがありますね。
リサイクルショップって街によってやっぱりぜんぜん売るものとか、値段の付け方が変わってくるんですよね。
割りと高級な街だったらやっぱりいいモノを置いたりとかするけど、高円寺の場合は、変わった人が多いから変なものが売れるんですよ。それも自分としてもすごい楽しいというか。ありきたりのモノばかり売る店じゃ面白くない。
「なんだ、これ~?」みたいなモノとか売ったら、けっこう売れる。(笑)
昔の電化製品だったりとか、用途不明のやつとかね。それなりにお客さんが反応してくれると嬉しいんですよね。
「なんだ、これ~?」みたいなのがお客さんとの会話にもなるし。
ギャ~!!
ここまでお話しを聞いてきたんですが、その後のインタビュー音声データがクラッシュしてぶっ飛んでしまっていた。
大変申し訳ございません、わたくしの不手際でご迷惑をおかけいたします。
ですので、ここからは松本さんにお聞きしたかったお話しを改めて書面にてお送りして、松本さんご自身に書いていただいたものを記載させていただきます。
松本さん、お忙しい中大変お手間をおかけいたしました。
<高円寺という街への想い>
店をやっている上では、変わった人や面白い人がたくさんいるから楽しい。
リサイクルショップの商品でも、意味のわからないものとかを売りにくる人も多く、他の街でやるより全然面白いですね。
あと、近所の人たちとの距離が近いのもいい。
一人暮らしの若者とか、おじちゃんおばちゃんたちとか。工具借りにきたり、道聞きに来たり、食べ物とか持ってきてくれたり、商売と関係ない用事で来る人が異常に多いのが最高です!
個人的には、面白い友達がたくさんできるのがいい。
しかもヒマ人が多いので、何か面白いことが常に巻き起こる可能性が高い街。
日々の生活に全く飽きないのがいいですね。
元々、高円寺に来る前は新宿にいました。新宿はどんな人でもいるまさにカオスな街だったので、そこから高円寺を見ると、ちょっと内輪っぽい雰囲気も感じる時もありました。
それまでは遊びに来たり飲みに来るだけだったけど、店を開いてから家も引っ越して、腰を落ち着けてみるとぜんぜん印象が違った。
内輪どころか、誰とでも友達や知り合いになるオープンな雰囲気があった。
自分が育った東京の下町の方とすごい通じるものがあって、「そういうことか!」と、一瞬で悟りました。
<ゲストハウス「マヌケ宿泊所」とは?>
2005年にリサイクルショップを開き、2010年に飲み屋を開いてから、地方や海外からもたくさん人が来てくれるようになった。
で、そんなみんなは、いつも数時間や1日などの短時間高円寺に滞在して帰っていっちゃう。
これじゃ、本当の高円寺の良さをわかってもらえないよなと、いつも惜しいなと思っていたので、滞在できる場所が欲しいと思いました。
目的の店に行ったり友達に会うだけじゃなくて、もっとゆっくりして、近所の食堂に入って街のおじちゃんおばちゃんたちと交流したり、銭湯に行ったりもして欲しいし、夜は賑わってるけど、昼間はみんな死んだような顔をして閑散としてる雰囲気とかも味わって欲しい(笑)。
ぶっ飛んでるバカばっかりじゃない、高円寺の日常を感じて欲しいなと。
ちなみにゲストハウスは、1990年代ごろ、自分自身がバックパッカーとして中国奥地や東南アジアなどで泊まった超適当な安宿のイメージで作りました。サービスやオシャレ感はゼロだけど、すごいいい出会いや面白いことが起こる感じ。
日本でも観光地なんかでゲストハウスが増えてきたころ、どこもすごいキレイでオシャレで。でも、ゲストハウスってそうじゃねえだろ~と。
なんで、最低のゲストハウスをやりたかった。(笑)
ゲストハウスを開いてからは、月一のペースで海外(主にアジア)に行き、1週間ぐらい飲み歩きまくって死ぬほど現地に友達を作り、その界隈のカフェやライブハウス、アートスペースなどにチラシを置いてもらったりしていたので、その人脈でみんながゲストハウスに来てくれてる。
なので、主な客層はアジア圏のインディペンデントカルチャー圏の人たちが多いです。
<日替わり店主BAR「なんとかBAR」とは?>
商店街のおじちゃんたちが集まる小料理屋さんがあって、自分も店をやってたので、よく商店街の人に連れられて行っていた。
で、ある時、お店のママが「もう私も歳だから、店やめようと思う」と言い出して、おじちゃんたちが大反対。そこで酔った勢いで口を滑らせて「じゃ、俺やります!」と言ってしまったのがきっかけ。
とは言っても、自分はリサイクルショップもやってるので、自ら飲み屋をやるのは無理。
なので、知り合いやその知り合いなんかで店番を回していく日替わり店長スタイルに。
店の運営費や原価を抜いた利益は全額、その日の店長に給料として渡してるので、自分自身の「なんとかBAR」からの収入はゼロ。
運営も、レギュラー店長みんなでミーティングをして回してる感じ。
コンセプトとしては、「誰かの店」じゃなくて、飲み屋をみんなでシェアする感じですね。
<デモとか、高円寺でやっていたいろんなことのエピソード>
最近はあまりやってないですが、以前はよく「家賃をタダにしろデモ」とか、「三人デモ」とか、ふざけたデモをやってました。
これは、昔に比べたら徐々に無機質になって窮屈になっていく街への抵抗でした。
やり方としては、デモの先頭のトラックの上にステージを組んで、突然バンドがライブしたりDJが音楽かけたりして、路上で大パーティーが始まって、2〜3時間のカオスを街の中でやっちゃう感じです。
カオスが嫌いな人もいるでしょうけど、多少のカオスへの耐性がない社会は絶対につまらない街になるので、これはやるしかないですね〜。
ただ、2011年の東日本大震災と福島原発事故のときは普通に頭にきたので、反原発デモを呼びかけたところ、予想に反して1万5千人も集まったので、さすがにあれはビビりましたね。(笑)
<楽しいこと好きなことしかやらない。キライなことはしない。を実践するための秘訣>
もちろん、店をやってたり生活をする上で、やりたくないことをやらないといけないことは、たくさんあります。
さすがに本当にワガママに生きたいということではありません。短期的な意味ではやりたくないことをたくさんやっています。
ただ、長期的に考えた時、いま自分がやってる仕事とか、他にやっているイベントでもプロジェクトでも遊びでも、ちゃんと納得できてるかを常に考えとくのは大事だと思ってます。
疑問を持ちながら何かを続けたりしても何もいいことがないので、それはやめたほうがいい。
コツはカッコつけないこと。無理にカッコつけようとすると、無理なものを背負い込んじゃったり、不本意なものに巻き込まれがちになったりして、よくない。
無理しがちな人は、落語とか聞いたらいいですね。マヌケな失敗談とかが頭の中に染み付いてると、カッコつけてる人がバカに見えてくる。(笑)
これでストレスゼロは確定です!
<海外に行って知り合いをたくさん作る、仲良くなる>
基本的には一人でも知り合いがいるところに遊びに行く感じですね。
友達の友達だったり、高円寺に遊びに来てくれて仲良くなった人を訪ねていくとか。
で、「どこか面白いところある?」と教えてもらって一緒に遊びに行く。そこで友達ができて、また新しいところを教えてもらう。その繰り返し。
ちょうどいいのが一都市一週間ですかね。一週間ぐらい遊び歩いてると、その街の面白い奴らの雰囲気がうっすら見えてくる。
知り合いのいない未知の街に行くこともありますが、これはこれで面白い。
まずは、いろんな知り合いにその街の情報を聞きまくって、手がかりを探してみます。それもなければ、現地の人たちが使ってそうなSNSやサイトで、ライブハウス、BAR、アートスペース、独立書店などを調べまくって、クセのありそうなところに行って、後は聞き込み調査ですね。(笑)
あとは酒飲んでればなんとかなります。
<松本さんにとっての「愛」とは?>
わかりません。生まれてこの方、考えたこともありません。(笑)
松本さん、どうもありがとうございました。
高円寺文化が伝わってきました。
2020.7.13 MON
高円寺「素人の乱5号店」にて
and 松本さんからの寄稿により
取材:木澤聡、北原慶昭
写真:小野千明
<リサイクルショップ「素人の乱5号店」>
Amebaブログ:https://ameblo.jp/shirouto5/
<ゲストハウス「マヌケ宿泊所」>
「マヌケ宿泊所」公式サイト:http://manuke.asia/home.html
<日替わり店主BAR「なんとかBAR」>
「なんとかBAR」スケジュールサイト:https://www.shirouto.org/nantokabar/
<松本哉の適当な日記>
素人の乱5号店・店主日記:https://matsumoto-hajime.com/blog/
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