第四回:佐久間ヒロコさん【高円寺フェス実行委員長、有限会社HOT WIRE GROUP 代表取締役】

with コメントはまだありません
Pocket

 

高円寺って本当に不思議な街である。

「ユニクロ」「スタバ」「TSUTAYA」が無い街と言って、よく笑い話になっていたが、昔からファミレスやコーヒーショップなどの大手チェーン店が根づかない街(できてもすぐに撤退する)として今に至っている。

貧乏学生たちが古いアパートを拠りどころに暮らし、ヘビメタからパンクまで幅の広いロッカーが闊歩する街だった「高円寺」も、今ではお洒落な古着の街として地方からやってくる若い子たちの憧れだったり、外国人観光客がサブカルチャー目当てにやってくるインバウンドに貢献する街だったりするのだから驚きだ。

「高円寺?ああ、あの『阿波おどり』をやってる街ね~。」と言われ続けてきたのは、もう過去のことなのだ。

高円寺が今のような街になったのには“キッカケ”があった。

高円寺は決して行政が誘導して成った街ではない。

高円寺にいる人たちが作ってきた街なのだから、“キッカケ”は人だった。

高円寺を「古着の街」にした功労者。

高円寺に「阿波おどり」じゃない大イベント「高円寺フェス」を立ち上げた張本人。

今回は、わたしが古くからお付き合いいただいている「その人」、佐久間ヒロコさんの“キッカケ”から始まる「周囲巻き込み系」の高円寺人ライフを紹介させていただきます。

キーワードは“キッカケ”ね。

 

<古着屋さんから始まった佐久間さんの高円寺>

 

佐久間ヒロコです。
この名前で高円寺の街を荒らしまわっています。(笑)

高円寺での“キッカケ”は古着屋です。1995年開店です。
当時、高円寺には古着屋が5軒ぐらいしかなかったんですよ。1995年はたったの5軒でしょ、2000年に約100軒、2005年には200軒という異常な急成長を遂げた高円寺古着屋です。
2005年~2010年ぐらいがピークですね。今また増えてきていますけど、2019年現在で120~130軒ぐらいかな。

 

<高円寺古着屋さん事情>

 

古着は当初からアメリカに行って一軒一軒ピックアップして仕入れています。

高円寺の古着屋は小さいところが多いので、だいたいは自らバイヤーとしてアメリカに行って、買ってきて、送って、というのが多いです。
大きいところになると向こうからまとめて送られて来るんですが、当たりが1割で9割ハズレていても儲かるシステムができているんです。それで残りの9割はベトナムに送ったりするわけですよ。うちは服が主で、雑貨は2~3割ですかね。

今はレディースしかやってないんで、オープン当時は「HOTWIRE」というメンズ店でビンテージものが主流だったんですけどね。
昔と今じゃ古着を買いに来るお客さんも変わっていて、今は高円寺も女の子がすごい増えて、昔はいなかった若いキレイな子が増えてる。若い子たちは高円寺がオシャレだと思っているみたいよ。
へぇ~、オシャレなんだ~って感じ。(笑)

 

<なぜ古着屋さんを始めたか>

 

もともと建築の仕事をやっていたんですが、アメリカのカルチャーが好きで、特に古いアメ車が好きで、400Mを突っ走るドラッグレースが特に好きでした。

アメリカにちょいちょい行って自分でもレースをやり始めたんだけど、やっぱりもともと商売人なもんで、ただの遊びで行くだけじゃ途中からイヤになって、向こうから雑貨とか古着を買うようになりました。
始めは卸してたんですよ、建築の仕事をしながら。で、卸してるんだったら、当時建築バブルもあったんで店も出しちゃった方が早いなって、1軒目を高円寺に出したのが“キッカケ”で、それからどんどんそっちにハマッていって。

お店は、一番多い時で古着だけで7店舗ぐらいあったんですね。2000年ぐらいかな~、渋谷とか下北沢にもお店出してたんですけど。

それでそっちが忙しくなっちゃって、2000年に拠点も高円寺に移しました。もともとは板橋で生まれて住んでたんですけどね。

 

<佐久間さんと高円寺>

 

高円寺で始めたことは、原宿とかでやるよりも街の規模感が良かったと思っています。

「高円寺」っていう名のついている土地のことはすべて知れるっていう規模感がわたしの身の丈に合っているというか、あっ別に高円寺をバカにしているわけじゃないですよ。(笑)
ちょうど自分に合っているような気がしますね。

ただ、高円寺が今みたいになるとは思ってなかったですよ、当時は。
みんなそう思っているかもしれないけど、お花畑みたいなカフェとかできたり、こんなになるとは思っていなかった。いつまでも過激なパンクロックのニイチャンたちがいっぱいいる街だと思っていたので~。(笑)

 

<古着屋さんと高円寺>

 

高円寺が過激な街だった当時のお客さんは、パンクスの人たちもたくさんいましたし、そんな人たちがお客さんで、ホントに若い女の子なんかまったくいなかったですよね。バンドやっているとか、古着好きの人ばかり。

1995年に空前の古着ブームが来ていたので~、「エアマックス」とか。そのときは地方からもお客さんがたくさん来てましたけどね。

 

<高円寺は好きです>

 

高円寺は好きですよ。

自分が生きている街なので、生かしてもらっているところなので、それはたぶん高円寺だからということよりは、自分が生かされている街だなぁ~というのはありますね。
だから、今の若い子たちが「高円寺大好き、イェ~イ」っていうようなのとはちょっと違うかもしれないですね。

 

<高円寺のすごいところ>

 

高円寺は普通にやってたらダメな街で、そこが好きな人が多いんじゃないですか?

高円寺って、よくわたしたちというか若者たちを代弁して言うんですけど、「ユニクロ」と「スタバ」ができない街っていう、それをステイタスに思っている人たちが多いですよね。

だから逆に言うと、「ユニクロ」と「スタバ」がすごいってことですよ。マーケティングリサーチがしっかりしているから高円寺にお店出さないってことですよね。
若い子もどんどん増えてきてるから、高円寺もだんだん変わってくるかもしれないですけどね。

でも変わらないのは、やっぱり高円寺はステップ台の街。
成功するとみんな出て行く。みんな出て行け〜!(笑)

(かつて、みうらじゅんさんは「高円寺は負け犬の街」と言っていました。)

 

<古着は高円寺っぽくない!?>


古着って、本来はわたし高円寺っぽくないと思うんですよね。

今は古着の街になっちゃったから、高円寺っぽいってみんなに言われてるけど、そもそも古着ってアメリカ文化が強くて、高円寺なら本当は和服の古着とかが流行るんだったらニュアンス的に判るんですけど、ようはアメリカなので、本来はその文化は無いですよね。
高円寺、アメリカっぽくないもん、だって。やっぱりインドですよね!(笑)

だからそれでいうと古着だけちょっと文化が違うと思うんですよね。ただ、なんせこんなに増えちゃったから、高円寺は古着の街だけど、古着はサブカルチャーじゃないので。

古着と高円寺っていうのは、むしろわたしたちが古着屋の街にしちゃった的なところはありますよね。責任取らなくちゃいけませんかね~。(笑)

「こんな街にしやがって!」って、散々商店街のおじさんたちに怒られました。(笑)

でも、観光地にまでなるとは思っていませんでしたねぇ~。 全国どころか、各国から来てますから。

 

<高円寺タウン誌「SHOW OFF」誕生秘話>

 

最新号が75号になる高円寺タウン誌「SHOW OFF」ですが、そもそも1998年にDJ BARを「ルック商店街」に作ったんですよ。

「HOT WIRE CAFÉ」ていうメキシコ料理の店なんですけど。
で、その店を売り込も~って言うのでチラシみたいのものを作ろうと思ったら、結局16ページぐらいの冊子を作っちゃったんですよね~。

その冊子をみんなに配って歩いていたんですが、その冊子にはほとんど「HOT WIRE CAFÉ」のことは載せなかったわけ。地域のBARとか飲み屋とかをマップを作って載せたんです。今の「SHOW OFF」と同じです。

それをいろんなところに配って歩いていたら、お店の人たちが「これ、すごいね!次も出してよ~。」って話になって、次からは広告も取れるようになったんですよ。

 

<そして「高円寺フェス」誕生へ>

 

「SHOW OFF」が広告を取れるようになってから3~4年ぐらい経ってからでしょうか、せっかくだからイベントやりたいね~ って話しになって。
「SHOW OFF Presents」でイベントやりたい!目指せ「フジロック」!って言ってて。(笑)
ようはロックイベントを屋外でやりたかったんですよ。

で、やろうと思ったけど、高円寺には仲間以外知り合いもいない、商店街の人も自治会の人も知らない。
地元の人からは、「お前らどこのどいつだ?」から始まるわけで、そもそも古着屋だらけにして若いやつらがワンサカ来て、冗談じゃない!いい加減にしろ!街を荒らすんじゃない!って話しになるわけですよ~。

当然、またなにかやるのかっていうことで周囲からはバッシングというか「そんなの絶対にやらせられない!」という圧力のもと、高円寺ではできない!
「じゃあ、判りました~。」ってことで新宿の「アシッド」ってライブハウスで、わたしは元々ドラムが好きで、「SHOW OFF」でも「ドラム対談」って企画もやっていたから、ドラマーだけを集めて「新宿の中心でドラムを語る!!」をやりました。

12人のドラマーさんが来ましたけど、そのときのメンバーはすごかったですよ。「RCサクセ-ション」の新井田耕造さん、「JUN SKY WALKERS」の小林さん、「キュウちゃん」ことクハラカズユキさん、「KENZI&THE TRIPS」のMOH CHANとか、そうそうたる顔ぶれのドラマーだけ12人!

「ニューロティカ」のメンバーと仲が良かったので、ドラムのナボさんのツテで集まってもらいました。「ニューロティカ」は歴史のあるバンドだから一声かけてくれたらみんな来てくれるんですよ。

そうやってインドアでイベントをやって箱もパンパンになりましたけど、どうも不完全燃焼だったんですよ。やっぱり外でやりたいっていうのがあったから。

それで2007年に、お金も無かったし、まだ外ではできなかったですけど、仲間が集まって、まずはお店に「参加店」になってもらおうってことで、お店から5,000円もらって「こんなイベントやりまぁ~す!」って、エネルギーだけはあったんで。(笑)

それで76店舗集めたんですよ。76店舗集めて38万円ぐらいになったんですかね。その38万円を元手に「高円寺フェス」の第一回を始めました。

 

<高円寺の南口と北口>

 

ストリートライブやったり、ストリートお笑いやったり。
スタンプラリーが有名なんですけど、南口の「パル商店街」の事務所を借りてスタンプラリーの福引会場にしたら、グワァ~っと並んじゃって、また怒られて、もう二度とやらせないって言われて。(笑)

ところが、北口の「純情商店街」がその噂を聞いて、「なんかすごい集団が、なんかすごいイベントをやったら、なんかすごい人が来た」って言われて、それで次の年に北口から声がかかって、「キミたち、南口を追い出されたらしいね~。」って言われて「そうなんですよ~。」って言ってたら、「じゃあ、北口においで!」って言われて。
今度は「純情商店街」を借りてやったら、またそこにも人がグワァ~っと並んで。(笑)

ところが「純情商店街」は、「すごいイベントで、人がたくさん来てくれてラッキー!」って思ってくれたんですよ。
そしたら3年目には南口の「パル商店街」が、「やっぱりすごいから戻って来い!」ってなって。(笑)
それからは高円寺全域に広がりました。

 

<「高円寺フェス」さらなる高みへ>

 

そんなことで3年やっていたらだんだんお金が足らなくなってきちゃって、杉並区や東京都へ行ってお金くださいくださ~いって言ってもダメ。

じゃあいいや!って思って国に行ったんですよ。経済産業省に行って「お金ください!」って言ったら、ボォ~ンって補助金くれたんですよ。ビックリしました。
今まで38万円でやっていたのが、いきなり数十倍規模のイベントになっちゃったんですよ。「どーしよう!!」っていうことで、「じゃあプロレスだぁ~。」って一気に大きくなっちゃった。

経産省からの補助金は3年間しか出なかったので、4年目にはまた38万円のイベントに戻ればいいやって言ってたら、今度は中野と杉並の連携事業に応援してもらったんですよ。
そして首の皮一枚つながって、その次の年からは杉並区からシンボル的なイベントとして補助をもらえるようになりました。

ここまでになったら、行政も関わる街の大きなイベントになっていますが、もともとはそうじゃなかったんですよ。(笑)
でもね、決して大きくするだけが目的でなかったんですけどね。

 

<高円寺の商店街>

 

今現在、高円寺には13の商店街があります。

13の商店街にはそれぞれ別の顔があって、知れば知るほど高円寺の商店街は面白い。その全ての商店街の会長さんたちと知り合いになって、応援してもらって各商店街さんとはそれから徐々につながりができていきました。
今ではよそ者も受け入れてくれる心の大きな人ばかり。でも後継者問題には、やっぱりここでも悩まれてますね。

 

<「高円寺フェス」立ち上げで苦労は無かった?>


わたしたちはよそ者だったんです。

わたしは東京出身ですが、高円寺の地元に人から見れば地方から来た人も高円寺まで10kmしか離れていない他の区から来たわたしも同じ扱いなんですよね、よそ者という意味では。
よそ者が新しいことをやるということに対する恐怖感というか違和感というかネガティブなイメージを持つのは当たり前なんです。そういうのが大変でしたね。

ただ、わたしはそんなことも苦労だったとは思ってなくて、何でかと言うと、当時高円寺にやってきて新しくお店を出した人たちは、みんなわたしと同じことを思っていたんですよ、「誰かやってくれって」。
みんな地元とのつながりが無いから、わたしが「やろう、やろう!」ってみんなを集めたときは、みんな手放しで「やって、やって」だったので、すごくやりやすかったんですよね。
地元の老舗のお店からはなかなか協力してもらえませんでしたが、新しいお店がどんどん集まってくれたんです。

当時はまだイベントやろうなんて人はわたしぐらいしかいなかったので~ 。
今は大変ですよ、みんなやりたいから。
でも、今の方がやろうとしたら大変ですよね。わたしのときはそんな苦労は無かったけど、今やれって言われてもそのときのエネルギーはもう無いので~。 始めたときは楽しかったから苦労とは思ってなかったです。

 

<お金が無いなりに豪華に>

 

高円寺フェス第一回のときはお金が無かったじゃないですか。
スタンプラリーをやるんですけど、その景品を参加してくれた76店舗に「くださ~い、くださ~い」って言ったら、いろんなものを出してくれるんですよ。

だから第一回の景品がすごい豪華だった。それこそジュエリー屋さんが1万円相当のリングを出してくれたり、不動産屋さんが仲介手数料3万円引き券くれたり、古着屋さんがビンテージのTシャツ30枚くれたり、そんな感じで事務所がいっぱいになるぐらい景品が集まったんです。

スタンプラリーやった人にその景品が当たるようにしたらみんな大喜びしてくれて、それで一気に有名になったんですよね。すごく高円寺らしい景品が集まっていたし。

で、3年目ぐらいまでは景品を集めていたんですけど、4年目からは補助金が出るようになったので集めなくなって。
だから楽しかったのはそうやってホントに手作りでやってたころで。お金もあるとダメですね、つまらなくなる。

 

<「高円寺フェス」の手応え>

 

「高円寺フェス」の手応えはまったく無いですね。毎年、今年で終わりかな~ と思いながら続けていますよ。

言っていいのか判らないけど、こんなに大きくならなくてもわたしはいいと思っていて。ただやっぱり今は売り込みの方がすごいので、それになるべく応えていこうとすると、とりあえずこの規模感でやらないといけない。

出たい人もたくさんいるし、それを「出られません!」と言うのではなく、やりたい人たちの土俵を作っていったら、今みたいになったってことなんですよね。

でも、自分の手からもう離れてしまったとは思わないし、協賛金なんかも必死になって集めていますよ。もっと参加店を増やしてマップに載せていくことで、たくさんのお店がこのイベントに参加しているんだっていうことを打ち出したいです。

(インタビュー場所としてお借りした)「一徳」さんは、以前は参加してもらっていましたが、最近はないんですよね。たぶんうちのスタッフが「一徳」のマスターのことが怖くて営業してないんですよ。(大笑)
「SHOW OFF」でもお店を取材させてもらってますし。

 

<「高円寺フェス」って、どんなイベントなの?>

 

「高円寺フェス」ってなに?どんなイベントですか?って聞かれたときに、答えるのがすごく大変なイベントなんですよ。

まず、「『高円寺フェス』って何時からですか?」って聞かれると、それさえも答えられないイベントなんです。参加店が24時間営業だったら、もう24時間やってるわけですよね。

「高円寺フェス」って基本的に何で始めたかって言うと、高円寺には「阿波おどり」があるじゃないですか、うちは古着屋をやってるけど、「阿波おどり」が始まると夕方4時ぐらいに店を閉めるんですよ。みんな商売にならなくなるから。そうすると、「阿波おどり」の2日間、物販店はみんな店を閉める。でも「阿波おどり」は高円寺の祭りだから、みんなで盛り上げる。すごくいいことだと思うし、わたしもそう思っているんですけど、でもそんなイベントはもうたくさんは要らないよねって。

だとしたら、お店も見てくれるイベントを作ろうよ、っていうことで、「高円寺フェス」は、お店に背中を向けないイベントなんです。みんなお店に背中見せて祭りを見ているのを、そうじゃなくてお店を見てくれるイベントにしようということが今も合言葉になっています。

「高円寺フェス」は何時からですか?主役はなんですか?ってきかれても、でもそれはプロレスとかのアトラクションじゃないんですよね。
お店がいろんなことをやっていて、「うちはフェスの2日間でこんなことをやりますよ~!」って、お店がもう200店舗も集まってやってますよ~ ということなんです。
だから文化祭なんですよ~。

例えば、校庭とか体育館とかの入口あたりでやっているのがプロレスとかのアトラクションで、それぞれの教室で焼きそばやってます~ お化け屋敷やってます~ みたいなのを参加店がそれぞれやっている。
でも、この祭りの2日間だけがフェスじゃなくて、「高円寺フェス」っていつもどおりの高円寺をちょっとだけ派手にしているだけ。

 

<ゆるキャラ?「サイケデリーさん」>

 

「高円寺フェス」の流れで一般公募したんですけど、そしたら「Twitter」がバズっちゃって、すごいことになっちゃって。
1,200通も応募が来ちゃって、その中から選ばれたのが「サイケデリーさん」です。
最終的には、みうらじゅんさんが決めたんですよ。

「アレなに?」って言うと作者の子は、ターバン巻いているのでインドなのと、足袋を履いているんで「阿波おどり」なので~ と言ってました。
「高円寺は日本のインド」と、みうらじゅんさんが言っているので、それと「阿波おどり」で高円寺のイメージなんですね。

「ドラゴンボール」のフリーザとも言われているみたいですが。(笑)
「キモキャラ グランプリ」で第二位をもらいました。(大笑)

 

<大きくなった「高円寺フェス」のギャップは?>

 

必死ですよね。

だって38万円でやっていたイベントが20万人集まる規模になって、そこについていかなくっちゃいけないので。
だから、そんなにお金をもらわなくてもよかったんだけど、もらっちゃったらそれに合わせるしかないじゃないですか。計算書など、報告書類の提出も厳しいですよ。

でも経産省からすごい褒められたのは、だいたい補助金もらってやるイベントって、もらっているときで終わっちゃうのがほとんどなんだって。ところが、「高円寺フェス」は、3年間もらったあともずっと続いてるじゃないですか。
たまに経産省と話をすると「それが素晴らしい!」って。
だいたいは補助金目当てだから、補助金終わったらやめちゃう。そういう意味では、「高円寺フェス」は経産省としてはモデルケースなんですよ。

今は杉並区からお金が出てますけど、もし予算出さないよってなっても、やっていけるプランは持ってます。
大きなアトラクションはできなくなっても、ストリートでミュージシャン呼んでやれるし、駅前に企業ブースとかを募ってお金を稼ぐこともできるんですよ。

 

<高円寺パワー>

 

高円寺がすごいなと思うのは、ミュージシャン、アーティスト、イラストレーターやお笑いとか、いろんな出演募集を年々してますが、今もうすごい増えちゃって、デモを聴き切れない、映像を観切れないぐらいなんです。

「高円寺フェス」ではストリートライブだけでも10会場ぐらいありますけど、アウトドアのストリートで公然と演りたい人たちも多いから選び切れない。インドアだって高円寺のライブハウスで演ったことが無いって人たちがワンサカ応募してくる。世の中、こんなにアーティストっているんだな~って思いました。(笑)

あと、年齢層も上がってきていて、初めてストリートで演ってみたい!みたいな50代の人もいますよ。弾き語りのご夫婦とか、出させてあげたいですよね。(笑)

参加型イベントなんですけど、なかなかありそうで無いんですよね。

 

<「高円寺経済新聞」もやってます>

 

「高円寺経済新聞」は意地でやっているんです。
「みんなの経済新聞」というのが母体ですが、1地区で1メディアが基本なので、杉並区でもどこか1箇所でしかメディアを持てないルールです。
だから駅名でネーミングするなら高円寺経済新聞になったわけで、それでも杉並区全域を網羅しています。その権利は当時他の方も狙っていたのだけど、どうしても「SHOW OFF」や「高円寺フェス」をやっているわたしがやりたかった。高円寺の情報をできるだけ正しく伝えたいんです。

記事内容がバズって他のメディアでも取り上げられると儲かったりもするらしいけど、ここ3年ぐらいはバズったこと無いですね。いつも母体にお金払って記事書いてます。(笑)

 

<中野・高円寺 Night Life Guide Book>

 

東京都からの仕事で、中野と高円寺の夜遊びできるガイドブックを作ったんです。
中野・高円寺で深夜0時以降やってるお店をそれぞれ30軒ずつ集めて。東京都からの話なので、仲のいい中野にも「一緒にやりましょう!」って声をかけて。
完全なインバウンド向けツールですね。外国人観光客は夜遊び大好きなので。

 

<佐久間さんの生き様>

 

今まで会社を興して、いろんな事業を始めて、会社の借金とかもあったので長い間その呪縛があったわけなんですけど、今日はみなさんにもお祝いしていただきたいんですが、そのすべての借金が今月の(9月)27日ですべて無くなります!(インタビューの日は25日でした)

(みんなで拍手!)パチパチパチ~

娘が今年ハタチになるんですけど、娘がハタチになるまでにすべてが終わるようにセットして始めたんですよ。その間は、誰になんと言われようと、お金を稼がなきゃというか、従業員を守らなくちゃいけない、イベントをやり遂げなくちゃいけない、お金返さなきゃいけないという呪縛の中で、平成元年に起業して今年30年になりますが、いいこともイヤなこともやってここまできました。

呪縛から解けるこの日のことを思って、わたしは生きてきたわけですよ。

それが終わった次の日に、交通事故で死ぬんじゃないかって。(大笑)
(※大丈夫でした!)

すべての呪縛から解放された後のことを最近はいろいろ、すごく楽しみに考えていますね~。
セカンドステージというか、ガムシャラに突っ走って周りとも闘ってきたので、少しは穏やかに丸くなれるかなぁ~ と思っています。(笑)

 

<高円寺はみんなの街>

 

ガムシャラに突っ走ってきましたが、やりたいことをやってきたから楽しかったからっていうのもありますよ。お金のことだけでよかったのなら建築の仕事を続けてましたよ。古着はそんなに儲からないし、イベントは補助金出たからなんとかなったけど元々儲かるもじゃないですからね。

でも怖いもので、わたしが高円寺で古着屋でもやろ~ って言ってやってなかったら、高円寺はこんなに古着の街になってなかったかもしてないって思います。最初は誰も何も判ってなかったもん。

「SHOW OFF」がタダで他のお店を紹介したときも、おかしいんじゃないかって同業者に言われたけど、「バカじゃん!」って。

野中の一軒家に誰が来るのか?たくさんお店があってそれぞれが賑わっているからこそ人が集まるんだよって。あいも変わらず頑なに自分のことしか考えられないお店はダメ!ひとり勝ちさえすればいいと思っているんじゃダメですよ。高円寺が賑やかになって栄えなければ、みんな豊かにならないんだから。
商店街がシャッター通りになりかけていたのが、古着屋だったとしても空き店舗が出ればすぐに埋まるって街になったんだから良かったんですよ。

 

<世代が代われば高円寺も変わる>

 

不思議なもので、自分も年を取って若い20代の人たちが「何かやりたい!」って相談しに来るんですよ。
期待もあるけど複雑ですよね。彼らが高円寺で新しいことをやると、どんな風に変わって行くんだろうって。よくわたしたちのころの先輩たちはOKしてくれたな~ってすごい感謝しています。
先祖代々住んでいる方は不安だったと思いますよ、こんな街になるなんて思ってなかったわけだから。でも今ではそんな地元の人たちともすごく仲良くて、きちんと分かり合えて、感謝してます。

 

<佐久間さんの休日>

 

休みの日もあるし休んでますけど、休みの日もなにかをやってます。基本的に家にいてジッとしていることは無いですね。

アメリカには仕事で年に最低でも3回は毎年行きます。仕事なんだけど、行けないとなるとすごいストレスなんですよね。でも行く場所は決まっていて、ニューヨークには一度も行ったことないですね。(笑)
みんな西の方ばかりで。ロサンゼルス、ネバダ、アリゾナ、テキサスとか、あとはメキシコ。わたしがそっちの方での買い付けが得意というだけなんですが。

 

<アメリカと佐久間さん>

 

小学校2年生のときに、父の友達がファイヤーバードという大きなアメ車に乗ってきて、しかもボンネットには大きな鳥が描かれていて「なんじゃこれ~」という衝撃から、アメリカの文化にハマって。
実は小学校はカトリックのお嬢さま学校に通っていたのだけど、5年生くらいになったらほぼ車のプラモを作って遊んでいて。とにかく早く実車に乗りたい!って思っていて。だって、どんなに頑張って走っても車より遅いし、飛行機に乗ったって、自分では運転できないし。

ということで、16歳ではすぐにバイクの免許取って、18歳で初めて買った車が7000ccの1969年型のシボレーのカマロという車。とにかく、アメリカが羨ましかった。なんでも大きくて。だから、今でも車やバイクはアメリカから離れられないし、趣味はそのくらいしかないかも。(笑)

 

<今後やってみたいことは>

 

これからやりたいことはいっぱいあります。

例えば、「こども食堂」みたいな、いろんな事情でご飯が食べられない環境の子たちを集めて、一緒にご飯を食べようだとか。非行に走った子たちを更生させる「世直し先生」とか。(笑)
残念ながら高円寺生まれには不良は意外といないんですけどね。あとは今もやってますが「ゲストハウス」とか「シェアハウス」とか。

リタイヤしても、ひとりでずっといたら寂しいじゃないですか。娘に会社を継がせるつもりもないので、大学卒業して自分のやりたい道で就職すればいい。わたしはわたしの好きなことをやります。

そして一番やってみたいのが「説教バー」ですね。(笑)

高円寺で6人ぐらい入れればいいかな。こう見えても料理がすごい好きで、料理上手なんです。お客に注文はさせないで、こっちで作ったものをボ~ンと出して、「ヒロコ説教部屋」みたいなのを高円寺あたりでやったら面白いかな~って。
20歳ぐらいの子から80歳ぐらいのオジイチャンまで説教しちゃいます。相談ごとなんかも受けちゃいますけど、なんの解決にもならないでしょうね。(笑)

 

<佐久間さんにとっての「高円寺フェス」>

 

もう、わたしのものではないと思っていますね。

「阿波おどり」だって、60数年もやってたら誰のものでもない。
「高円寺フェス」はたかだか13年しかやってませんが、この後も続けられるような環境を作っていけたらいいなと思っています。やりたいことがある人が、やりたいことをできるように、みんなでがんばっていけばいい。お金無くなっちゃうかもしれないけど、がんばればいい。

わたしがあーでもない、こーでもないってずっと言っていたらダメですよね。自分がずっといつまでもいつまでもやって行こうと思ってはいないです。

任せられるようないい仲間とね、一緒にやれるっていうのがいいですよね。だいぶ今年は自分が携わっていたことを減らしたんですよ。100だとしたら、80なり60なりにしていって、今は半分ぐらいにして。

わたしはこれから「説教バー」やるからね。(大笑)

 

<佐久間さんにとって「愛」とは>

 

愛ぃ~ ?
マジでそんな質問あるんだ~!

愛は~ 、わたしは~ 、佐久間持論ですけど、「思いやり」しか無いと思いますね。

わたしはそう思うな、愛って。

相手を思いやる気持ちがあるから愛なんですよね。あとは、この人死んだら悲しいと思うこと。

 

(佐久間さん、長い時間ありがとうございました。)

 

 

2019.9.25 WED
高円寺「一徳」にて
取材:木澤聡
写真:小野千明

 

<古着屋賑わう街 高円寺>

「GREEN DOT」

 

「dai dai」

「dai dai」公式サイト:https://www.hotwireshop.com/apparel/daidai.htm

 

<高円寺三大イベントのひとつ「高円寺フェス」>

「高円寺フェス」公式サイト:https://koenjifes.jp/2020/

 

<インバウンドも必要になったから「ゲストハウス」も>

「高円寺純情ホテル」公式サイト:http://www.koenji-junjo-hotel.com/japanese

 

<山形県飯豊町のアンテナショップ「IIDE」>

「IIDE」公式サイト:https://iide-kouenji.com/

Leave a Reply